テルアビブ大学で講演するためイスラエルに出張した。さいわい招聘してくれたアイレット・ゾーハー女史の案内で駆け足ながらイスラエルのアートシーンを見てきた。
(ちなみに女史は近現代日本美術史を専攻する理論派で作家としての活動歴も長い)。
西ガレリアのハイファから少し車で走るとアート・コンプレックスを銘打った豪華ホテルのエルマ・ホテルがあり、瀟洒な印象は直島のベネッセに似ている。廊下などに展示されているイスラエルのモダニズム画家の作品は宿泊客でなくとも入って見ることができる。山頂からの地中海の眺めも素晴らしい。
その対極にあるのが近隣のアラブ居住区にある非営利のウム・エル・ファヘム・アートギャラリー(ummelfahemgallery.org)だ。共産党員でもあるガーション・クニスペルの大作シリーズを展観していたが、最上階のワークショップで頭をベールに包んだ地元の女性達が陶器を制作していた。
特に赤い実をつけるウチワサボテンの置物は愛らしい。しかしこれは強制移動させられる前にパレスチナ人の住居の境界に植えられていた植物で政治的背景が濃厚、と女史に教えられた。そういえば車で走っていてあちこちにウチワサボテンを見かけた。それだけの数のパレスチナ人が退去させられていたわけだ。
政治や社会が様々な局面で顔を覗かせて、畢竟見る側の意識も高まってくる。テルアビブ美術館の常設展示にポストミニマリズムのセクションを見つけたときには、こうした無機質な表現の背景には何があるのか、との思いがよぎった。ジョシュア・ニュースティーンの秀逸な布の作品や、バッキー・シュワルツのひょうきんなビデオ作品など、NYやロンドンと並行した表現があるのみならず、NYやロンドンでの活動も多い。
女史にこの質問をぶつけたら、ならば作家と話をしてみたらどうか、という。そこで2014年にNYのジューイッシュ・ミュージアムが開催した「他のプライマリー・ストラクチャーズ」展で興味を持ったベニー・エフラットに連絡してもらった。同展で見たのは厚さ70センチのスポンジの直方体に重さ1トンの鉄板をのせたミニマルの立体で、過剰な物質感が気になっていた(goo.gl/JbpLGk)。
1936年生まれの作家は反骨の人。スポンジ彫刻の出自について質問したら、まず「その後どうなったか、知る必要がある」とコンピューターを使って最新作について解説。現在の人類の壊滅的環境状況をビデオインスタレーションとして提示する作品だ。さらに鉄条網を使った立体作品、氷でPEACEの巨大文字を作った作品などを次々と見せてもらった。
印象に残ったのは「平和は一時的なもの」という言葉。だから会場に放置すれば溶けてしまう氷のインスタレーションなわけだが、一方で「何ものも永続しない」という哲学は重い言葉だ。東洋の無常観とはほど遠い現実認識の言葉であり、鉄板に押さえつけられてへこんでいくスポンジの物質性にも呼応する、と考えるのは深読みだろうか。
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