富井玲子 [現在通信 From NEW YORK] :詩想を描いた女性画家

2017年07月18日 10:00 カテゴリ:エッセイ

 

 

フローライン・ステットハイマー、と言っても日本では聞きなれない名前だろう。アメリカでも、たとえばオキーフやホッパーに比べれば知名度は低いが、美術館の常設で作品を見る機会は少なくはない。

 

作風はいささか戯画調で、ダダやキュビスムなど近代美術の枠にあてはめがたいものの、一度覚えてしまうと忘れがたい魅力がある。

 

ひょろひょろと細身でおしゃれな服装の男女が、豪華な客間や、サーカスや、湖や、セントラル・パークや、高級百貨店に集う。ハイソな家族とともにデュシャンなど、高名なモダニストの姿もちらほらと見える。人物や事物のスケールは恣意的で、時に巨大な花々が画面を占領することもある。

 

不思議なウィットに満ちたステットハイマーの画面を最初に見たのは、ずいぶん以前のことになる。MoMAだったか、メトロポリタンだったか。一目見てモダニズムの規範に反逆する女流画家の大ファンになった。

 

そんなステットハイマーの回顧展が、現在ジューイッシュ・ミュージアムで行われている(会期は9/24まで)。

 

1871年にNY州ロチェスターの裕福なユダヤ人家庭にうまれたステットハイマー(1944年没)は、アート・スチューデント・リーグで学び、ヨーロッパに遊学。象徴主義の文学と絵画に影響を受けるとともに、ロシア・バレーを発見する。第一次世界大戦の勃発した1914年に帰国。16年には名門のノードラー画廊で個展デビューするが、期待に反して評価は低かった。

 

 

同展出品の一つ、ちょっと衝撃的なヌードの自画像を見れば、その理由は十分に想像がつく。全裸で堂々と長椅子に横たわった作家は、ティチアーノの《ウルビーノのヴィーナス》やマネの《オランピア》を下敷きにして、コケティッシュに右手に頬をのせ、左手に花束を掲げる。常套的に西洋美術史を参照し、正統な油彩表現に則っているとはいえ、挑発の態度は明白だ。

 

そこで自らの作品を世に出すために、ステットハイマーは母と二人の姉妹の援軍を得て、画廊に頼るのではなく、パーティ戦略に打って出た。何しろ富裕階級のエリートのサロンだから、スティーグリッツやオキーフ、デュシャンなど錚々たるメンバーが集い、それが作品にも投影されて1918年ごろにはステットハイマー流のドリーミーな集合肖像画様式に到達する。

 

今回の展観では、その変化を跡付けるとともに、詩作やパリ時代の創作バレー、さらにはガートルード・スタイン脚本、ヴァージル・トムソン作曲によるオペラ「三幕の四聖人」のための舞台(1934年)を紹介している。特に、出演者が全員アフリカン・アメリカンという実験オペラの仕事は、三次元の模型で舞台装置や衣装を構想、新素材のセロファンや舞台用の羽根、スパンコールや珊瑚などを縦横に用いたミニチュアの造形は、機智に富んだヴィジョンがステットハイマーらしい。

 

 

 

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