私はエリオ・オイチシカ(1937~1980)の抽象が好きだ。一見すると幾何学抽象に見える表現も、戦前抽象絵画の厳格なフォーマリズムには規制されていない。50年代ブラジルのネオ・コンクリート・アートの旗手として先達マックス・ビルの新構成主義を継承しつつ、絵画の静止性を打破し、運動感覚と時間を導入したからだ。微妙にゆがんだ四角形たちが、角を突き合わせんばかりに蠢いている。戦後という新時代に国際舞台に躍り出たブラジルの躍動感を暗示するかのようだ。
だが、60年代になると非具象の世界から離脱、人間の手による介入を誘発する《箱》シリーズを63年ごろから始め、奇妙なダンス衣装《パランゴーレ》を64年から68年に制作している。箱にしても衣装にしても「動く抽象」と形容しうる一面があるものの、オブジェ性も次第に強くなる。さらにはこうしたインタラクティブな作品が、64年に始まった独裁への抵抗だったという政治性もあわせもっていた。また独裁政治を逃れて数年間NYに滞在したときにはドラッグやゲイ文化へも接近して、社会意識の強いビデオやインスタレーションへ展開してく。
ホイットニー美術館で開催中の回顧展「夢中を組織する」で、そんなオイチシカの全容を知ることができる (10月1日まで)。
実は同展は、アート・インスティチュートとの共催で、4月に出張した時にシカゴで見ていた。同じ展覧会を2カ所で見るのは、美術研究を専門にしていてもなかなかない。シカゴでは、観客の少ない時間帯だったので、《パランゴーレ》のレプリカを思う存分に試着することができた。
このタイトルは「住むのに適した絵画」という意味で、リオデジャネイロの貧民街での交流から生まれた作品だ。この町にある有名なサンバ学校にちなんで、サンバのリズムに合わせて踊るためのドレスとして構想された。
シカゴでは何もない壁際に、衣装ラックにずらりとレプリカが架かっていて、私以外の観客が興味を持っているようには見えなった。
一方、ホイットニーは2組のレプリカを用意している。1組は、ちょっと薄暗い展示室に設置。サンバを踊る現地の人たちの記録映像と音楽を楽しんで臨場感を味わいながら観客が試着し、さらにはその姿を自分でも見られるように横長の大きな鏡が床置きされている。心憎い演出で、作家の意図を汲んだ展覧会企画者の創意が光っている。
もう1組は、同時期の大規模インスタレーション《トロピカリア》の中に衣装ラックを設置。これは、床に砂を敷いたガーデンにブルーシートなどの仮設シェルター的建造物を配置、観客が歩き回ってテントに入ったりベッドを試したりできる壮大な作品だ。《パランゴーレ》を着て歩けば、作品との一体感が倍増するとも言えるが、貧相な建造物が抑圧への批判であり、インタラクティブを能動的な政治行為へとつなげたかった作家の意図を思うと、こんな楽しい演出でよかったのか、という疑問が残ってしまった。
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