アートのグローバル化は着々と進み、複数のモダニズムへの目配りも広がっている。10月に見たテート・モダンの常設展示では、「カタストロフィー後のアート」などのテーマによる比較展示、周縁の東京やブエノスアイレス、ザグレブへもフォーカスし、さらには新館のスペースを生かしてソ連や東欧のコンセプチュアリズムを紹介するなど、充実した収蔵と新たな着眼点を披瀝している。
グローバル化をにらみつつローカルの視点を主張したのが、グッゲンハイム美術館の「1989年以降のアートと中国―世界の劇場」展だ(~1/7)。伝説ともいえる89年の「China/Avant-Garde」展(北京)や90年の「中国の明日を昨日に」展(仏プリエール)など、国内外の重要展を機軸にテーマを設定し、そこから発想する事実主義を標榜。アジア・アート・アーカイブの協力を得た資料展示も充実して一味違う中国が見えてくる。
ただ、闘犬を使った孙原&彭禹のビデオ作品が動物愛護家の反対運動にあい、黄永砯と徐冰の動物を使った作品とともに同展での展示が中止されるという事件があった。ネットを使った署名集めが瞬く間に75万を越えたというスピードはトランプのご時勢としかいいようがないものの、美術館が作品の意味や政治的背景を十分に説明していない、との批判には痛恨の思いが残る(goo.gl/ZKkGNj)。
トランプ時代にトランプ批判のアートが出てくるのは想定内だったが、「国境の塀」をテーマとした試み2点が眼を引いた。一つはルイス・カムニツァーがトランプに「墨米国境にクリストのオレンジのランニング・フェンスを設置」するよう呼びかけたネット署名作品(goo.gl/STZs2g)。これは秀逸なコンセプチュアリズムで私も署名した。
もう一つは艾未未の《よき塀あればよき隣人となる》で、NY市内の各所に塀を模した立体作品を設置、さらにグローバルなフットワークで難民や移民を撮影した写真などを街灯やバス停留所にバナーやパネルとして設置する大々的なパブリック・アートのプロジェクト(10/12~2/11)。作家本人が中国政府の弾圧を受けた経験をバネに、表現の自由や難民問題を問い続けている、その一例だ。
作家の体験を資料展示で見せるのがノグチ美術館の特別展(~1/21)。真珠湾攻撃後、西海岸の日系移民が強制収容されたとき、収容を免除されていた東海岸のイサム・ノグチは自ら収容を志願、アリゾナのポストン収容所に入所した。アートを通じて収容者を元気づけ、また同じ人間であることを米国民にアピールしたいという理想主義的な決断だった。だが政治の壁は厚く試みは挫折したが、自らが二世であるとの新たな認識を書いた未出版のテキストは胸を打つ(goo.gl/KbX2yA)。
12月に急逝したトヨ・ツチヤはアメリカに帰化した日本人作家の珍しい例だ。NYのアングラ世界を当事者の視点で写真撮影し(goo.gl/FXk7vF)、アメリカと自己の関係を見つめる作品も残した。
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