歴史と切り結んで生きてしまったアーティストを、どう美術史の中で評価するか。これは容易ならざる問題である。
たとえば、現在ホイットニー美術館で回顧展が開催されているデービッド・ワイナロービッチ(9/30まで)。
ゲイの詩人でありアーティストだったワイナロービッチ(1954-92)は、1980年代レーガン政権下のエイズ危機の当事者であり、その中で抗議運動を繰り広げたACT UPのメンバーであり、保守派の文化攻撃と戦った運動家であり、まさにエイズの「殉教者」だった。
その作品は、キース・ヘアリングやグループ・マテリアルなどと並んで運動のアイコンの一つとなり、言うまでもなく作家が生きた歴史と切っても切り離せない。
そして2010年代の現在、アーティストは過去の人となったが、エイズという病の問題は終わるどころか、いまだに進行中。その意味でワイナロービッチの意義は今にも通じる部分が大きい。
本展は、最初期の写真作品から、ポスターなどグラフィック作品、絵画やオブジェ、また自筆テキストの朗読パフォーマンスのテープまで網羅した本格的な回顧となっている。
それだけに、ワイナロービッチの作家としての資質や特質を見極めつつ、現在につなぐ視点は必要だった。が、ホイットニーの企画はこの点で甘かったように思う。
まず、アートネットなどが報じたように、作品解説パネルなどでエイズを過去に終わった事象とみなし、現在形の啓蒙をおこたっているとACT UPが抗議行動を実行(goo.gl/AXVoiY)。これに対して美術館側は作家がACT UPのベネフィットに制作した版画の解説を大幅に拡充して前向きに対応した(goo.gl/AoJX75)。
どんな展覧会でも歴史的記述の密度は慎重な計測が必要だが、「歴史が夜も僕を眠らせない」という副題のついた展覧会だからなおさらだ。しかしながら、ホイットニーが無意識のうちにワイナロービッチを美術という文脈の中で美化しようとしていたのではないか、と思われる節がある。なぜなら、「作家の本質」を見極める、という回顧展の任務においてお一種の誤認があったように思うからだ。
アルチュール・ランボーに心酔した作家が、詩人の肖像を仮面に仕立て友人達にポーズさせた最初期の写真や後の写真作品、またサロン形式に大量に展示された80年代初頭のポスター類をみていると、作家の才能が写真やグラフィック表現にあったことが感じられる。よく知られたエイズへのエレジーを詠った90年代の諸作品も写真とテキストを組み合わせて、その真価を発揮している。が花のない展示に終わっていた。
一方で、元愛人の写真家ピーター・フジャーからアドバイスされて専念した、と解説のある絵画作品は展示の中心になっており、これらを「美術」として評価したいらしい意図は明らかだったが、作品としてはぎこちない技術が目立ち、作品としては疑問が残る。納得の出来ない展観だった。
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