春先からのニュースで気になったことがいくつかある。その一つはサックラー問題。時代とともに社会の問題意識が変遷する中、美術の位置や役割を考えさせられる。と同時に歴史を正確に認識しないと、現在の問題を見誤ることになりかねない危険も見えてくる。
サックラー問題は、近年浮上してきたオピオイド系鎮痛剤中毒の蔓延に関連する。製薬業界が依存性が低いと偽って病院や医者に処方を推奨していた社会責任が問われている。渦中にあるのはパーデュー・ファーマ社で、欧米の大美術館やハーバード大学などへの寄付・助成による支援活動で知られる大富豪サックラー一族の会社である。
現代のメディチともいわれるサックラーの名前は、メトロポリタン美術館のデンドゥール神殿がサックラー・ウィングに位置している、といえば日本人には分かりやすいだろう。これは同社がオキシコンチンを売り出して瞬く間に大ヒット商品になったのが1996年、同神殿の設置が約20年前の78年だからオキシコンチンとは無関係の支援だった。ただし、今後は同社に連なるサックラー家のメンバーからは寄付を受けないと同館は発表している。
一方、ワシントンのスミソニアン協会グループには、フリア・ギャラリーと一体化してアジア美術を専門とするアーサーM・サックラー・ギャラリーがある。最近「サックラー」の名前を消すように一上院議員から要請があったものの、新就任の協会長がこれを退けている。アーサー氏は同館設立にあたり作品寄贈と資金提供をして貢献したが、87年の同館開館直前に死亡しているので、オキシコンチン以前の支援ということになる。
オキシコンチン発売以後に支援を受けていた機関では、米国のグッゲンハイム美術館、英国の国立肖像ギャラリーやテート・モダンが、サックラー財団や同社重役のサックラー家メンバーからの寄付を過去にさかのぼって返却し今後は寄付を受けない旨を発表した。
鎮痛剤の販売促進は、煙草と同じく、有害性を隠しての企業利益追求に他ならない。かつて煙草企業のフィリップ・モリスが様々な形でアートの支援をしていたが、経済活動で得た利益を社会還元している、というのが居心地の悪い寄付の論理だった。
「どれほど慈善に財産を使ったとしても、非業によって得た財貨を償えるものではない」。これは、1909年に大富豪ジョン・D・ロックフェラーが財団を設立したときに、セオドア・ルーズベルト大統領が放った言葉で、5月16日付NYタイムズ紙のサックラー問題を論じた意見欄で引用されていた。
これを敷衍すれば、公益施設である美術館が、社会利益に反する活動を行っている企業や個人から寄付金を受けてもよいのか、という倫理問題に行き当たる。嗜好品の煙草と治癒を本来の目的とする薬剤の違いは大きかったのだろうが、資本主義社会におけるアートや学術支援の形にUターン不能な変化が起こったことになる。
なお、鎮痛剤中毒を克服した写真家のナン・ゴールディングが設立したグループ PAIN(Prescription Addiction Intervention Now)は、美術館や大学がサックラー家の寄付を受けないように要求する抗議活動を展開している。
追補――パリのルーブル美術館が7月17日をもって、「サックラー」の名前を展示から削除したとニュースが入った。これはペルシャ美術の展示をしているサックラー・ウイングの名称からの削除、および作品ラベルの寄贈者名の削除をふくむ。グッゲンハイム美術館に並んで、ルーブル美術館はPAINグループの反対運動の標的だった。
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