一週間以上前のこと、夕食後にコンピューターに向かっていた。ふと気づくと外が騒がしい。NYがロックダウンになってから、とにかく我が家の近隣はひっそりと静かなのに――そう思いつつ、やり過ごした。
翌々日だろうか、昨夜はヘリコプターの音で眠れなかった、と夫がこぼす。私が、そう言えば、この間夕刻に外がうるさかった、不謹慎だよね、と応えたら、「え、知らないの」とその日のNYタイムズを差し出す。
オンラインで新聞を読んでいると、印刷版より一足も二足も先に読める記事がある一方で、極度の視野狭窄になり、新聞の頁を繰って見出しを走査すれば拾えたはずの記事を見逃していることも少なくない。
見出しは「手洗いだけじゃない、毎夕、新たな手の効用」、芸術セクションの第一面だ(4月11日付)。あわててオンラインで検索したら、ビデオ記事「毎夕七時NYCのサウンド」もでてきた。
中国武漢やイタリアなどで始まった拍手の儀式で、NYでも3月下旬から続いていたようだが、我が家のご近所でもようやく始まった、というのが事情らしい。ただし「ご近所」と言っても、我が家の台所の窓から見える、あるいはそこで聞こえるアパートの谷間の住人たち、ということになる。
その日の夕刻、7時になると、あたかも合図するかのように「カン、カン、カン」と金属音が聞こえてきた。夫が「ほら、音がする」と注意を促す。私も手を叩くかどうか、躊躇している間に音はやんでしまった。
翌日は満を持して待っていたら、また「カン、カン、カン」。台所の窓を開けて、拍手するも、いかんせん音が微弱。次の日には、重い鉄鍋の蓋を取り出して、お玉の柄で叩く。寺鐘のような深い響きに満足する。
以後、毎夕拍手の儀式に参加している。
一日のある時刻に一斉に手を叩く。それは何よりも、最前線に立つ医療関係の方々への感謝の気持ちの表明だ。が、それだけではない。一般市民にできることは「在宅」と「社会隔離」だけ、という状況が立ちはだかる中で見つけた「連帯」の一方法が「7時の拍手」だった。社会が危機に瀕している中で、連帯をソーシャルな形に転化したサウンド・アート、とでもいおうか。
実際、社会のみならず、文化自体が危機に直面している。ロックダウン以後、NYでは美術館も画廊もコンサートホールも図書館もすべて閉鎖された。またアメリカ国内でもロックダウンあるいは外出自粛が広く要請されて、文化機関の被害は甚大だ。芸術事業支援団体の Americans for the Arts が、大小各種の文化芸術非営利団体を対象にしたアンケート調査によれば、4月7日現在で回答のあった全米各地の12万カ所をあわせると総額で45億ドル(4850億円)の損失が予測されていている(tinyurl.com/thzvt4u)。
気の遠くなるような数字と、連日のように流れる美術館や画廊の馘首のニュース。しかも文化だけではなく、被害はすべての分野におよんでいる。
そんな中で草の根的にひろがった表現のコミュニティ。そんなところに、これからのアートの原点があるのかもしれない。
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