5月末から三週間以上続いたBLM(ブラック・ライブズ・マター)の抗議運動にもかかわらず、NYではコロナ感染の数字が低いレベルで推移している。リオープン第二段階の6月22日をすぎて小売商店サイズの画廊が多いロワーイーストサイドが再開をはじめ、第三段階の7月8日以後は、ズワーナーやガゴーシアン、ペースなどのチェルシーの大画廊も再開を告知している。
そんな中で、アメリカ人の人種意識を決定的に変えたBLM運動の影響は美術の分野でも長くくすぶっていた「記念碑問題」の流れを大きく変えつつある。
記念碑問題とは、公共空間に設置されている先人顕彰の銅像や壁画の是非にまつわる論議のことだ。昨年の9月の本欄で、初代大統領ジョージ・ワシントンの事績を描いた高校の歴史壁画の撤去問題について触れた。
問題は、偉人とされている人たちが必ずしも聖人ではなかった、という厄介な事実に由来する。たとえば、アメリカ建国の重要文書である「独立宣言」に署名した「建国の父」たちの大多数は奴隷所有者だった。この事実を、映像作家のアーレン・パーサがアメリカ人なら誰でも知っているジョン・トランブルの歴史画に赤丸をコラージュしてツイッターに投稿している(@arlenparsa)。
18世紀の当時は奴隷制が当たり前だったから仕方ない、という弁護はありうる。しかし、奴隷を所有していなかった少数派の建国の父もいた。たとえば二代目大統領になったジョン・アダムズは奴隷制反対論者だった。
ただし当時の時代を生きた人たちを現在の基準で一方的に判断し歴史を抹殺しようというのではない。「人間」の自由と独立を考えながら奴隷を所有していた建国の父たちの視野にあったのは白人男性だけという、建国の矛盾を直視しなければ、そこから幾重にも派生した矛盾を根本的に解決できないからだ。
その矛盾は、早急な奴隷制廃止には慎重だった二代目大統領にもあったし、1863年のリンカーン大統領の奴隷解放宣言の後、反動的に南部で黒人の自由を制限する立法や慣習が広く導入されたりしたことにも表れている。そこから20世紀に入って人種差別を強化するために南軍将校の銅像が特に南部で多数建立されたことにもつながる。だから「美しい郷土の顕彰」はあくまで口実で、それを見るアフリカンアメリカンの人たちは、いまだに白人の権力誇示に脅威を感じる、という。
こうした隠蔽(かくされた歴史)や捏造(つくられた歴史)の見直しが共有されてこそ、記念碑の問題点が認識されうる。
その具体的な結果として、現実に連邦政府や地方自治体が記念碑の撤去を検討また決定し、さらには南軍将校にちなんで命名された米軍基地の改名も連邦議会で可決された。
建国の父の一人、三代目大統領トマス・ジェファーソンは奴隷女性と愛人関係をもち、その子孫は少なくない。その一人が興味深い意見をNYタイムズに寄せている――ワシントンにあるジェファーソン・メモリアルは、偉人としての一面しか表象していないので撤去すればよい。その邸宅と奴隷の働いたプランテーションをともに保存しているモンティチェロこそが曾々々々祖父にふさわしい記念碑である、と。
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