先日、久しぶりにDIA:Beaconに行ってきた。マンハッタンから2時間ほど通勤電車に乗って北上したビーコンにあった製菓会社の元工場を美術館として2003年にオープンしたもので、近代遺産建築を再生転用した美術館の嚆矢の一つだ。
DIAは、テキサスの原油掘削機械で富をなしたデ・メニール一族が支援したスミッソンやデ・マリアなどのランド・アート派、セラやジャッドなどのミニマル派が恒久設置され、60-70年代アメリカ美術のアウラを体現する〈殿堂〉として出発した。私としては、ここしばらく権威性に少々疲れて感動が消えていた。
だから最近の新展示のニュースは聞いていたものの、なかなか食指が動かなかったのだ。
いつ見ても色あせないウォホールの《影》の長大連作にサスガと思い、5月に始まったイミ・クネーベル、シャルロッテ・ポゼネンスケと回りナカナカだと評価、マリオ・メルツでヤレヤレと思ったのも束の間、ドロシア・ロックバーンで足が止まる。
ロックバーンはミニマルの女性作家で、紙を折りたたんで広げた形態から出発して、紙や薄板を自在に壁面にインスタレーション的に展開させる。版画も定評があり、好きな作家だが大作のインスタレーションをまとめて見る機会があまりなかった。都合5部屋の展観は、これだけで遠出した甲斐があったというもの。スケールを大きく空間を演出する一方で、個々の作品やそれぞれの構成要素のディテールへも周到に視線を惹きつける。端的に言って「表情」がある。
こうした「表情」は、たとえば等身大以上の岩を壁に埋め込んだハイザーの「無表情」に対抗するものだ。そのハイザーの左側に展示されているミシェル・スチュアートは、パネル4枚を天井から壁に沿って垂らしたミニマルだが、モスリン布で裏打ちした紙の上に赤土の層を塗り重ねた表面はモノクロームながら優しく温かい。
さらに以前は薄っぺらいと思っていたアン・トゥルイットの擬人的な木柱も、パステル調彩色の軽さに反語的なウィットを感じすらする。これも再発見の一つだ。
このほか黒人作家では、最近再評価が高まっているカラーフィールド画家のサム・ギリアムが楽しい。一般に、色面絵画はミニマル的静謐が特徴とされているが、ギリアムの作品は、サイズの大小にかかわらず、ある種の微細な動きが感じられる。全長40メートルの布にアクリルを染ませたインスタレーションは、その動きをマキシマルに拡大した稀有なダイナミズムの力作だ。
全体に、女性や非白人の作家を加えてフレッシュな方向を目指していることがわかる。2015年から館長を務めるジェシカ・モーガンとは旧知の間柄で、以前に彼女が「グローバル・ミニマリズム」に興味を持っていることを聞いていた。その時は死ぬほど退屈な展覧会になるのではと危惧したが、そうした固定観念を打破するような展示に、私の眼が率直に反応した。
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