黒人女性作家フェイス・リンゴールドの大規模な回顧展がニュー・ミュージアムで開催されている(~6月5日)。
リンゴールドは、2019年秋に新装拡張オープンしたMoMAの展示で、1967年の《アメリカ人シリーズ》の大作が、ピカソの《アビニョンの娘たち》と並んで展観されたことで話題になった。
今回の展観は、1930年にニューヨークで生まれたリンゴールドの50年以上にわたる作家歴を初期の60年代初頭から紹介する。
60年代は、黒人をテーマにして、大胆な簡略化を図った暗い色調の肖像画が続く。前述の67年作品はむしろ例外的にダイナミックな作品だったことが分かる。人種暴動に触発されて「DIE」と副題をつけた同作に、当時MoMAに展示されていた《ゲルニカ》の影響が大きかったというのもうなずける。
興味深いのは、70年代に入ってからの展開だろう。人物描写に重点があるものの、ミニマルなパターンの構図を経たのち、チベットのタンカの影響を受けた縦長の装飾性のある構図に移行し、しかも油彩のカンバスにキルト風の縁をつける様式を開発する。
仏画であるタンカとの出会いは、72年アムステルダムの国立美術館で、元ハーレム住民の守衛が見るように勧めてくれたという。
非西洋の宗教説話表現は、絵画におけるナラティブの可能性へとリンゴールドの眼を開き、作品の構想ががらりと変わった。
たとえば、72年には風景モチーフの《フェミニスト・シリーズ》と人物モチーフの《奴隷のレイプ》シリーズが制作される。
これが80年代の《ストーリー・キルト》シリーズに展開し、黒人の生活文化に根差したストーリーを油絵で描写するとともに、キルトの装飾性を加味し、描き出された光景を詳細に物語る細かい手書きテキストを埋め込む独自のスタイルが確立される。
ちなみに母親がキルト作りをしていたのでキルトの作品への応用は一種のコラボとして始まったという。
さらに90年代になると、美術史を中心としたストーリー・ラインを開拓し、実にゴージャスな《フレンチ・コレクション》シリーズとなる。ルーブル美術館でモナリザや岩窟の聖母の前で踊る少女たち、マティスの《ダンス》の前で画家のモデルとして横たわる女性など、黒人を主人公にしながら、白人男性中心で編纂されている美術史への批判的眼差しも忘れていない。
《アルルの向日葵キルト・ビー》と題された力作は、ゴッホへのオマージュであり、ハリエット・タブマンやロザ・パークスなど歴史上重要な黒人女性たちへのオマージュでもある。ビー(キルトの集団制作のこと)という協働をモットーとしたキルト制作の伝統に、女性や黒人の地位向上のために闘った歴史が重なる。その思いは、全部で12枚あるテキスト・パネルの第一番にある「この女性たちは私たちの自由なのよ」という言葉にも表れている。
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