アラン・ソロモン――この名前を聞いて、すぐに誰なのか分かる人は、よほどのアメリカ美術通だろう。
一番わかりやすい肩書は、ロバート・ラウシェンバーグがベニス・ビエンナーレでグランプリを獲得した1964年にアメリカ館のコミッショナーを務めた人物といえばイメージがわくだろうか。
ソロモンは、62-64年にニューヨークのジューイッシュ・ミュージアムの館長を務め、NYで台頭した若手の作品を「ニュー・アート」と呼んで積極的に展観する企画を続けた。ソロモンの考えた「ニュー」とは、テレビCM、コミック、ホットドッグやハンバーガーの店、ジュークボックスやスーパーマーケットなどのアメリカ的な日常環境の体験に興奮して作品へと転化している作家たちを指していた。
「ニュー」の騎手は、何と言ってもロバート・ラウシェンバーグとジャスバー・ジョーンズで、ソロモンはそれぞれの作家の初の美術館個展を63年と64年に開催している。
これだけでも画期的だったが、抽象表現主義以後の新しい抽象をエルスワース・ケリーやフランク・ステラ、ケネス・ノーランドたち、またデービッド・スミス以後のアメリカ彫刻をリー・ボンテクやジョージ・シーガル、ジョン・チェンバレンたちに探る特別展を企画している。こうした一連の仕事がベニスへと繋がっているわけだ。
これらの作家たちは必ずしもユダヤ系(ジューイッシュ)ではないが、ソロモンはNYに少なくなかったユダヤ系の画商やコレクターたちとの親近性も高めていた。
その結果、ジューイッシュ・ミュージアムはユダヤ文化に特化した博物館にとどまらず、NYにおける現代美術の重要拠点へと変身し、今に続いている。
現在同館で開催されている「ニューヨーク1962―64年」展は、故ジェルマーノ・チェラントの企画によってソロモンの業績を検証する(来年1月8日まで)。
出品作品は、実際に同館で当時展観された大作を中心に集めているだけに見ごたえがある。近年の研究や美術館での動向をうけて、女性や黒人の作家への目配りも効いている。
だが、何と言っても、企画の焦眉は、同館での展覧会企画の斬新さを認められて就任したベニス・ビエンナーレのアメリカ館コミッショナーの仕事だ。
展示されている米国情報局からの依頼状には、アメリカ館の展示はアメリカ現代美術の表現の成果、さらには「歴史上初めて国際美術界のリーダーとして認められ、その地位を謳歌している」状況に相応しいものでなければならないとある。国家がこの国際的文化イベントにかける熱意は高く、冷戦構造下の文化戦略のあり方を考えさせられる。
ところで、ベニスに送られたノーランドやステラの幾何学の大胆さに比べると、ラウシェンバーグの大作絵画には、どこか古典的な雅趣すら漂う。このあたりに作家の魅力とベニス受賞の理由があったのかもしれない。
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