もしも絵画に「ご当地ペインティング」というものがあるとすれば、ニューヨークの「ご当地ペインティング」の第一人者はエドワード・ホッパーに違いない。
現在展観中のホイットニー美術館の「エドワード・ホッパーのニューヨーク」(~3月5日)は、最初期から最晩年まで、絵画だけではなくイラストや版画、素描やアーカイブ資料などを駆使して、ホッパーが見たニューヨークを集中的に展観する企画である。
1882年にマンハッタンの北方30マイルに位置するナイヤックに生まれたホッパーは、1908年にニューヨークに移り、商業美術の訓練を活かして、イラストレーターとして仕事を始めた。1906年から1910年にかけて3回パリに短期滞在するものの、当時最先端だったセザンヌよりも印象派に興味を持ち外光制作をしている。ただし、色彩分割には興味を持たず、光と形態の構図として風景をとらえる方向をめざした。
1913年にワシントン・スクエア北3番地に住まいを定め、1967年に死ぬまでここで生涯を過ごした。(現在は、エドワード・ホッパー・ハウスとして保存公開している)。
引っ越しと同時に、版画プレス機を購入し1920年初期にかけてニューヨーク風景を描いた銅版画で注目を集めるようになる。特に、光と影を演出し、形態を単純化する表現は、その後の絵画制作へのヒントになると同時に、絵画に専念できる環境が整った。
ニューヨークといえば摩天楼だが、ホッパーのニューヨークは垂直性ではなく水平性を特色とする。水平で摩天楼に匹敵するテクノロジーの勝利を体現するのはマンハッタンの東を流れるイースト・リバーにかかる一群の橋だろう。1883年に竣工したゴシック様式のブルックリン・ブリッジは優雅で、ハート・クレインの詩にもなっている。
一方、ホッパーのお気に入りは、1900年代に竣工したクイーンズボロ・ブリッジとマンハッタン・ブリッジ。ともに鉄材を使った近代的建造物だが味気ないと言えば味気ない。
ところがホッパーの手にかかると、マンハッタン・ブリッジは帯のような弧となり画面を大胆に横切る。風景が単純化されて、一種の抽象化が施されるところが、ホッパーの魅力の一つだろう。
水平性と抽象化は、1946年の《街に近づく》では、さらに徹底している。水平性を象徴するのは街の北側からグランドセントラル駅に向かってマンハッタンに入ってくる郊外電車の線路。画面にはパーク・アベニュー下のトンネルに入り込む入り口が描かれている。とても名所とは言えないが、遠出したニューヨーカーなどは、このトンネルに入る瞬間に、ああ、我が家に戻って来たなと感じる。そんな場所である。
もう一つの水平性は、ホッパーのアパートから360度ぐるりと見えるマンハッタンのスカイラインで、紙作品が多く残されている。油彩作品としては、同工異曲で孤独な人物が窓から街を眺める構図が一つの定型になっている。
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