久しぶりに日本からの賓客を MoMA に案内する機会があった。1960年代に一時ニューヨークに住んでいた画家の方で、当時感銘を受けた作品をまた見てみたいということで深く考えずにお連れしたのだが、旅行案内の眼で見ていくといくつか発見があった。
たとえば、ゴッホの《星月夜》やポロックの壁画大ドリップ絵画は、それぞれ5階と4階の第1室、しかも奥の壁に展示されていて、入室したらすぐに目に付く。旅行者にとっては、この上なくありがたい。しかも、ポロックの《One》やマティスの《ダンス》の前には、革製ソファーが置かれていて、時間をかけて作品と対話できる演出もある。
その一方で、近代絵画定番の後期印象派の部屋はコンパクトにまとめられている。セザンヌならサントヴィクトワール山や静物画が1点ずつあるものの、一人で立っている《水浴者》は定番のはずなのに見当たらない。
そのかわり、あちこちで今後定番になるだろう作品が数多く壁に掛かっている。一昔前なら草間彌生が出ていれば「やった!」とほくそ笑んだものだが、今では白髪一雄や村上三郎、山崎つる子などの具体作家、オノ・ヨーコやナム・ジュン・パイクなどが定番になった感がある。今後は、モンドリアンと一緒に紹介されているラテンアメリカの戦後幾何学抽象がより定着していくにちがいない。
こうしたアップデートはグローバル美術史が今後普及していくためには欠かせない啓蒙活動となる。なにより眼が慣れることで知識が増えていく。ただし、旅行者の眼にどれほどの効果があるのか。そんな疑問があるかもしれない。だが、私にしたところで、グローバル美術史を推奨していても、頁の中の知識だけでは間に合わない。世界各地で起こっている美術館の収蔵品展示のアップデートに伴走しながら目を慣らしているのが現状だ。
展示の自由度の高さは他の形でもあらわれている。今回は、戦前の表現にあてられている5階で、コンテンポラリーの映像作家、アイザック・ジュリアンの《ラングストンを探して》と題した1989年の16ミリ作品が展観されていた。「ラングストン」とはラングストン・ヒューズのことで、1920~30年代にニューヨークで起こったハーレム・ルネッサンスを代表する黒人ライターで活動家だった。と同時に、ゲイがカムアウトせずに(できずに)クローゼットにとどまっていた時代の象徴であり、それがエイズ禍につながったというのがジュリアンの歴史観だ。現実とは裏腹のハリウッド映画を思わせるハイソなシーンは表現の重層性への入口となる。
コンテンポラリー・アートだが、テーマは戦前の黒人文化で、現在と過去をつないだ展観だ。ちょうど最近収蔵されたジュリアンの《この時間の教訓》も9月28日まで特別展示されている。奴隷出身で強烈な奴隷制度廃止運動家として知られるフレデリック・ダグラスをテーマにした映像で、作品題名になった著作集に関連した資料展示も併設されている。
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