モダニズム芸術の理想の一つに「総合芸術」の夢がある。戦前のバウハウスに代表される建築を中心とした諸芸術の融合である。社会における建築の機能的かつ芸術的重要性を思えば、総合化の中核に建築がすえられたことは必ずしも不思議ではない。
それからほぼ1世紀をへた21世紀の現在、美術の精華である〈絵画〉を中心として総合芸術が可能なのではないか。
そんなことを考えたのは、10月30日~12月16日の会期で国立新美術館が開催した荒川ナッシュ医のパフォーマンス・アートの個展に〈巻き込まれ〉参加したからだった。
荒川ナッシュはロサンゼルス在住でグローバルに活動する中堅作家の先鋭である。
公募展の開催を第一義とし、新しい美術表現を世界的に探ることを第二義として開設された国立新美術館=NACT (National Art Center, Tokyo) での企画展である。同展オープン当初は、毎年恒例の日展が11月1日~24日に開催されて、明治末から現在に続く官設展の老舗とグローバル・コンテンポラリー・アートの最先端が併存し、はからずも日本近現代美術史の両極端を示すことになった。
それにしても、尋常な展覧会ではない。まず、国立の美術館がパフォーマンス作家の個展をするのは本展が初めてであり、しかも中堅作家の過去作品を回顧するのではなく、作家の持つ可能性を現在進行形の「生きている形」で未来に向けて発信する構成だ。
「ペインティングス・アー・ポップスターズ」と題した展観は、「絵画と〇○」という構成で、公園、子育て、LGBTQIA+、いわき、音楽、教育、パスポート、即興、バレエの9個のテーマを掲げている。(詳細はhttps://www.nact.jp/exhibition_special/2024/eiarakawanash/)
そのすべて――会期中にめでたく生まれた双子、ゲイ・パパとしての子育て、自らの国籍、故郷いわきとのきずな、行為の表現にまつわる即興や音楽、舞踊など――が「生きている作家」であることに関わってくる。人間が生きていることが、そもそも総合的な現象だとすれば、「生きている作家」が多岐にわたる関心を一つの場で追求したなら、総合芸術になっても不思議ではない。荒川ナッシュの縦横無尽のジャンル横断は、作家の憧憬する〈絵画〉で繋留され、パフォーマンスという行為の多義性と柔軟性をとおして、より多彩で具体的な表現となる。
しかも、作家が〈個〉としてのみ生きているのではなく、同世代作家のみならず河原温やマティス、エルスワース・ケリーやラウシェンバーグなどの物故作家たち、さらには以前から熱烈なファンだった歌手のユーミンと夫・松任谷正隆、また哲学者・千葉雅也などをも協働者に動員して〈共生〉する場を構築する。かくいう私もレクチャーイベントで動員された一人である。
しかも、会場となる美術館の建築空間にも「風通し」のよさを工夫し、はては美術館制度とそれをになう学芸員にも「生きている」ことを求めていく。この点でも、本展は尋常ならざる展覧会だった。
≫ 富井玲子 [現在通信 From NEW YORK] アーカイブ