オノ・ヨーコ《Wish Tree》は1996年に初演され、世界各地で実現されてきた。パーク街アーモリーでのイベントの会場にはさまざまな人種の老若男女が集まっていた。 =筆者撮影 2025年2月14日=
今回の執筆で私の『新美術新聞』への寄稿は幕を閉じる。「ニューヨーク展覧会情報」の題名で連載を始めたのが1995年9月1日号。98年12月11・21日合併号で「現在通信 From New York」に改題し、オンライン版への転載も2012年に始まり、あと半年で30周年記念になるところだった。
長く愛読してくださった読者の皆さん、そして長い間お世話になった歴代編集スタッフの方々への感謝の気持ちを込めて、ニューヨークならではの話題で締めくくりたい。
NYと言えばオノ・ヨーコ。ジョン・ケージなどの前衛音楽を知った50年代からフルクサスの60~70年代、そして夫君のジョン・レノンが凶弾に倒れた80年以後、音楽界やアート界での復活を遂げて旺盛に活動してきた。長年住んでいたNYの喧騒を避けて現在ではアップステートのフランクリンに引っ越している。
オノが長年暮らした72丁目のダコタハウス近隣のセントラルパークにはレノンを記念したストロベリー・フィールズが設置されている。もう一つ忘れてはならないのが、ダコタのほぼ足下にある地下鉄B・C線72丁目駅にあるオノのモザイク壁画だ。
オノ・ヨーコ《SKY》2018年より《dream》のモザイク壁画 © Yoko Ono ニューヨーク市地下鉄B・C線72丁目駅=筆者撮影=
《SKY》と題された壁画は、二層構造のプラットフォームとそれを繋ぐ階段に、綿のような白い雲を浮かべた大きな青空を現出させていて、思わずドキリとさせられる。完成したのは2018年。普段は使わない駅なので、この機会に初めて訪れることにした。
Yes、dream、remember、Imagine Peace、Remember Loveなど、オノの手書きのインストラクションが、空の真ん中にひっそりとささやかに記されている。手作業で釉薬を塗ったモザイクは、駅の無機質な光の中でも、暖かい雰囲気を醸し出している。
YesとImagine Peaceは、人生を肯定的にとらえ人類全体の平和を願うオノの代表的なインストラクションだ。オノ・ヨーコ《SKY》2018年より《YES》と《Imagine Peace》のモザイク壁画部分 © Yoko Ono ニューヨーク市地下鉄B・C線72丁目駅=筆者撮影=
NYを訪れる機会があれば、是非とも立ち寄っていただきたい。
ところでオノは2月18日に92歳を迎えた。そんな作家への誕生日プレセントとして企画された《Wish Tree》のイベントが、本稿締切り直前の2月14~17日に開催された。これ以上に「現在形」の発信をすることは、「現在通信」の最後としてもありえない。嬉しい偶然だった。
初日の14日、私は会場のパーク街アーモリー(兵器廠)に出かけていった。
《Wish Tree》のイベント自体は珍しくはない。木を一本あるいは数本調達し「願掛け」の紐付きカードと筆記台を用意して、オノのインストラクションを掲示すれば準備万端だ。あとは観客がそれぞれに自分の思いを託して記入したカードを木に結いつければ完成となる参加型イベントだ。
パーク街アーモリーで開催されたオノ・ヨーコ《Wish Tree》のための筆記台(左);若い参加者たちも一生懸命に考えて願掛けカードに書き込んでいた。 =筆者撮影 2025年2月14日=
今回の趣向は、92歳のオノにちなんで、鉢植えの常緑樹を92本用意し、軍事演習場として使われた広大なアーモリーの会場いっぱいにならべて、一般の参加を求めるもの。
初日の早い時間帯だったから、まだ願掛けカードもまばらだったが、ゆったりした時間が流れる大空間で、作家の長寿、そして読者のみなさんの健康を祈念して「Love & Peace」と書いたカードを結いつけてきた。
パーク街アーモリーで開催されたオノ・ヨーコ《Wish Tree》の願掛けカードの一つ。Love&Peaceは願い事の定番だ(左);願掛けカードを木に結いつける男性(右)=筆者撮影 2025年2月14日=
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