〝小さなぐい呑みから大きな環境造形まで〟を謳い、「新しいものとは何か、現代の空間にどんなものが似合うか、焼物で何が出来るのか」と新時代の九谷焼を目指す。近年は、銅鐸のような安定した形態の白地の胴体に、自宅周辺に姿を現わすという青サギなどの鳥を描く。垂直や平行を意識した独自の半抽象的絵柄で、獲物を狙う鋭い眼光と嘴が誇らしく、羽根と尾が豊かな重層美を見せる。
「君は寺井町出身だから卒業制作は焼物にしなさい」。金沢美術工芸大学デザイン科卒業制作にあたり、北出塔次郎教授(当時)からのアドバイスが陶芸家への道を決定づけた。夫人の父である九谷焼・二代武腰泰山のすすめで、金沢美大へ進み工業デザイナーの道を志した。時代の趨勢からか、伝統工芸よりも実業の世界に目を向けた。しかし北出の言葉から、自らの出自、血縁に基づき、進むべき方向を修正した。但し、その後創作した陶芸作品は、フォルム(形態)とマッス(量塊)の緊張が昇華して生まれるオブジェのような抽象作品であった。日展での2度の特選(80、86年)受賞作も、図像を排し、土もの主体の抽象造形であった。それが漸く50歳に近付いた頃に変化が訪れ、形への追求はある程度で留めながら、意匠的な色絵を施していくようになった。
40代から大規模な作品にも取り組み、石川県内には、93年に3年がかりで完成した九谷陶芸村(能美市)の高さ11メートル、6万枚の陶板による巨大レリーフ「甦〝世紀をこえて〟」がある。地球上に生きる森羅万象が曼荼羅図のように壮大な規模となって刻まれている。94年根上総合文化会館(能美市)音楽ホールに抽象レリーフ「宙」、99年手取郷斎場ロビーに「豊饒の郷」、2000年石川県立看護大学(かほく市)に清潔感、やさしさ、飛躍などの意を込めた高さ12メートルの壁画レリーフ「美しき生命」が設置されている。
そして10年程前から、長い歳月を経て開発に成功した「無鉛釉薬」を全面的に使用する。鉛の毒性を心配することなく、人と環境に優しい〝無鉛釉の世界〟と称し、作品名にも積極的に掲示し、広く推奨している。今後については「同じ事ばかりやっているとやがて下降線を描き、アイデアは尽きてしまう。今までやらなんだ仕事をやってみたい。人物でも風景でも」と創作意欲は益々旺盛である。
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