人間の小ささ、無力さを包みこむ「山水」の思想
春陽会会員、女子美術大学名誉教授である洋画家・入江観(1935年栃木県生まれ)の新作展が開かれる。個展としては4年ぶりとなる今展には、日本とヨーロッパの風景を描いた約40点が出品。創作の背景を聞いた。
―今展では山を描いた作品が非常に印象的です。
入江 僕は日光に生まれて、小学校の跡地は今、小杉放菴記念日光美術館になっています。「双稜冠雪(そうりょうかんせつ)」はその近くの橋から見た山、女峰山(にょほうさん)です。子どもの頃から見てきた山で、私にとってのサント=ヴィクトワール山ですね。これまでずっと、描きたい気持ちを温めてきたのかな。
―64年にフランスから帰国し、日本の風景になじめず描けなくなったということもありましたね。
入江 その時は、自分から描こうとはしないと決めました。「ちょっと、ちょっと」と呼びかけてくるものを待とうと、モチーフの側にまかせたのです。結果的には「自転車」(1968)という作品を描くことで、苦しみながらも日本の風景を描けるようになっていきました。でもじつは、それは留学前に描いていた絵に戻ったということだったのです。
―93年にも、フランスに3カ月滞在されています。
入江 その時はもう描けなくなることはありませんでした。かつては「ヨーロッパ」「日本」とこだわっていたけれど、すべてが「自分の景色」だと思えるようになったのです。描きたいと思う震えが来るほどの気持ちこそが、自分自身であると気づくことができた。30年間の努力は無駄ではなかったのです。
―東京藝術大学の在学中から春陽展に出品され、画業は半世紀をこえています。原動力はなんでしょうか。
入江 自分の絵に何かが「足りない」と思い続けてきました。どこまで行っても、もうひと山あると。とても調子の良いときは、遠くに「星」が見えるのです。そこに近づこうとひた走る。でも、調子の悪いときは「星」が見えず、とても辛い。
―その「星」とは?
入江 それは自分でもわかりません。向かうべき目標のようなものかもしれない。でも、「星」はひとりひとり違うはずです。
―作品の中の人間は、自然に比べとても小さく見えます。なぜでしょうか。
入江 漠然とこれまで、人間は小さなものだと感じてきました。昨年の震災を経て、その気持ちはさらに強まっています。風景を描いても、結局は人間を描いているのだと。じつは、震災前から「山水」ということをどこかで意識しはじめていました。「山水」は人間の小ささを、無力さを教えてくれる。それでも今、このようにわたしたちが生きているという事実がある。なによりも、そのことを確かめるということが自分の仕事だと思っているのです。
【会期】6月27日(水)~7月3日(火)
【会場】日本橋三越本店6階美術特選画廊(東京都中央区日本橋室町1―4―1)
☎03―3241―3311 【休廊】 無休 【料金】 無料
作家によるギャラリートーク
6月30日(土)14:00~
【会場】 展覧会会場内
「新美術新聞」2012年6月21日号(第1283号)1面より