昨年3月に98歳で逝去、文化勲章受章作家として現代かな書の象徴的存在であった杉岡華邨(1913年奈良県生まれ、34年奈良師範学校本科・専攻科卒業。辻本史邑・尾上柴舟・日比野五鳳に師事。78年日展文部大臣賞、83年日本藝術院賞、89年日本藝術院会員、95年文化功労者、2000年文化勲章受章)の生誕100年を記念した大回顧展。額、屏風、帖、巻子、着物仕立ての作品や手紙、折帖に至る100余点を展示、弛まぬ研鑽を続けた杉岡華邨の軌跡をたどる。
「追悼 生誕100年 杉岡華邨展」によせて
島谷弘幸(東京国立博物館副館長)
仮名は、平安時代に一つの頂点を迎えたが、それ以降も時代に合った美を追求する能書が現れていった。昭和から平成にかけても書壇は大きく変貌するが、その中にあって杉岡華邨は新たな仮名表現の創出を目指した一人である。華邨は勤務した小学校の研究授業で習字を担当したのを契機に書の道に入った。はじめ、辻本史邑に漢字を学び、やがて尾上柴舟、日比野五鳳に師事し、造形美とともに線質の大切さを学んでいった。
1973(昭和48)年までの初期において、華邨は流麗な文字の連なり、余白や行間の空間構成に独自の感覚を見せる。しかし、すでに晩年の書風を彷彿とする「雪の夜に」(良寛)を残している。万葉仮名を駆使して、一見、漢詩にも見える雄渾な書風である。雄渾な書風の虎関師錬(こかんしれん)、奔放な一休宗純らが残す縦三行の墨跡を思わせる風格がある。
1988(昭和63)年までの中期には、一作ごとに工夫を凝らした創作活動に取り組んでいった。中でも、藝術院賞を受賞した「玉藻」は、何より全体の調和が見事である。もちろん、技術的にも、行頭・行末の処理の巧みさ、墨量の多少、文字の大小、潤渇、運筆の変化の妙などがあるが、筆力の強さが広い行間を感じさせない。随所に設けられる山場への移行にも無理がなく自然である。学んだ古典、学んだ師の書を咀嚼して、自らの美意識のもとに揮毫した華邨の代表作といえよう。
2002(平成14)年までの後期は、重厚な大字の作品や流麗でありながら空間を圧する作品などがある。「良寛と貞心尼の贈答歌」や「みほとけ達」は、小さい文字を連ねた作品で、その題材を考慮したためか、華麗な筆さばきを潜め、禿筆を巧みに操りながら、良寛や貞心尼、そして会津八一の心境まで表現しようとする。そして、晩年は長年の研鑽を経て磨き上げて到達した独自の感性によって筆を運ぶ。細部にこだわらない筆法からは華邨自身のたくましい人間性が感じられる。
ところで、書の歴史の中でも華邨のように多様な書を展開する人は少ない。たとえば藤原俊成、あるいは烏丸光広などがその代表的な人物である。光広は、江戸時代初期に活躍した公卿で、伝統的な持明院流の書風からスタートし、その後は定家流、あるいは光悦流を見事に手中にした書風を展開していった。そして、晩年は独自の書風である光広流を完成させている。この光広で特徴的なのは、同じ時代において持明院流と定家流などを巧みに使い分けている。昭和40年代の華邨の作品も同様に、書風や表現の使い分けを見事に展開する。この点だけでも華邨の才の一端が理解できるが、後年の自らの感性の赴くままに自在に筆を操った作品は、華邨ならではの境地を示すもので注目されよう。
東京展:
【会期】 2013年2月28日(木)~3月11日(月)
【会場】 松屋銀座8階イベントスクエア(東京都中央区銀座3-6-1)☎03-3567-1211
【休館】 無休
【開館時間】 10:00~20:00(入場は閉場の30分前まで、最終日のみ17:00閉場)
【料金】 一般1000円 大高生700円 中学生以下無料
大阪展:
【会期】 2013年3月20日(水・祝)~26日(火)
【会場】 大阪髙島屋7階グランドホール(大阪市中央区難波5-1-5)☎06-6631-1101
【休館】 無休
【開館時間】 10:00~20:00(入場は閉場の30分前まで、最終日のみ17:00閉場)
【料金】 一般1000円 大高生700円 中学生以下無料
ギャラリートーク
2013年3月20日(水・祝) 13:00~
【講師】 高木厚人(大東文化大学教授)
「新美術新聞」2013年2月21日号(第1304号)1面より
「三輪の桧原」制作の想い出
中路融人(日本画家・文化功労者、日本藝術院会員、日展常務理事)
平成23年の暮、東京・ホテルニューオータニで開催の第43回日展前夜祭に出席した際、待合室で杉岡華邨先生ご夫妻とご一緒しました。その折、先生の御奥様より百歳記念展を迎えるにあたり私に合作を描いてほしい御希のお話を伺い、描かせて戴きますと返事を申し上げました。華邨先生は大変に喜ばれて握手までしてにこにこ顔でご満悦でした。お約束をした翌年3月に他界されるとは夢にも思いませんでした。
お別れの会も終り、後に先生の御奥様が拙宅にお越しになり、「三輪の桧原(万葉集)」の句を書いた作品をご持参されました。この作は小さいもので二枚折屏風の右方に飾る絹張り屏風に描く事をお引受け致しました。相当広い空間があり構図を決める事に苦労しました。私は今迄に何点かの御作品を描かせて戴きました。「万葉の花」「最上川」「良寛さん子供と遊ぶ」など、其の時々の想い出があります。一番苦労したのは「最上川」で、これは先生の作品が出来上った上に描くということで、失敗は許されない緊張感がのしかかり朝夕近くの川の水を眺めに歩き廻った覚えがあります。特に水の色も白緑系の淡墨に決めて完成しました。
今回の「三輪の桧原」については、先ず三輪山方面へ檜の木と山を写生に行きました。何度か訪れて空気や雰囲気を捉えることが一番重要で、心に何か万葉時代の気分、心象を創って行く事がなかなか難しいことでした。空間が広いので構成も重厚さがなければと、墨も青墨でない黒い墨と金泥を使い、下方に金の砂子を少し入れて空気感と奥行を表現しました。何と言っても、中央のたなびく様な白い余白が生きるか死ぬかの勝負でした。
写実を超えた心象の世界の仕事は、今迄色々挑戦して来た事を土台に自分の気迫とが合致して成し遂げられるものだと思います。華邨先生が御覧になればと思いますと少し心配な面もありますが、又反面私の心境を理解して頂ける自信作と思っています。
「新美術新聞」2013年3月1日号(第1305号)1面より
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