「ベルリン国立美術館展」の偏った楽しみ方
高梨光正(国立西洋美術館主任研究員
どうにも、イタリア美術史を専門とする私には、日本における近年のフェルメール人気が理解できない。今回もベルリン国立絵画館からフェルメールの《真珠の首飾りの少女》が来日するのだが、それについて嬉々として語る気分にはならない。むしろ、リーメンシュナイダーの彫刻の切なさや、ボッティチェッリの素描の妖艶な魅力の方に、心を奪われてしまう。
今回、ベルリン国立美術館から絵画、彫刻、素描を合わせて107点の作品が出品される。担当者として口にするのは些か気が引けるのではあるが、実は今回出品される素描が実に面白いのである。イタリアの15世紀から16世紀の素描なのだが、その技法といい、巧みさといい、見ていると時間を忘れる。
日本人の中で、一部の美術史研究者と歴史研究者を除いて、500年前の羊皮紙写本や文書を自らの手で繰ったことのある人はどれほどいるだろうか。
白色の硬いコシのある羊皮紙は、それ自体紙に比べてずいぶんと重く、フォリオ版くらいの写本になると頁を捲るのが大変なくらいなのだが、そこに記された素描や文字、挿絵彩飾などを見ていると、それを描いた人物の鼻息が聞こえてくるような気になる。
紙にインク、紙に黒色や赤色の天然石、下地処理した紙に銀や鉛の尖筆を用いた素描。その材料はむろん工場生産ではない天然の物なので、色にむらがあったり、不純物が混じっていたりする。そうした材料を用いて引かれる一本の線が語る言葉の濃密なこと。
銀筆の魅力溢れるボッティチェッリやフィリッピーノ・リッピの素描、ギルランダイオのカンヴァス地に描かれた衣紋の習作、大胆な陰影のベッカフーミなど、見ていると画家の性格が垣間見えてくる。素描を見るというのは半ば瞑想に近く、作品を介して画家本人と直接会話ができる点に最大の魅力がある。ミケランジェロという人は、実際につきあうには非常に面倒な人だったろうと、素描を見るたびにそう思わずにはいられない。
彫刻も数多く出品される。しかもドイツ・ルネサンスの木彫とイタリア彫刻を並べて見る珍しい機会となっている。やはりリーメンシュナイダーの彫刻は、その憂いを含んだ人物の表情とぎこちなさに、イタリア彫刻とは本質的に異なる、どこか懐かしい魅力を湛えている。
「ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年」という展覧会の紹介をしなければならない立場にあって、デューラーも、フェルメールもレンブラントも語らず、これほど偏った紹介の仕方をすると共催各社からお叱りを受けそうな不安があるが、ここは真の美術愛好家の皆さんとの対話の場。ぜひ、彫刻と素描を見て下さい。
【会期】 2012年6月13日(水)~9月17日(月・祝)
【会場】 国立西洋美術館(東京都台東区上野公園7-7)
☎03-5777-8600 【休館】 月曜、祝日のとき翌日、8月13日、9月17日開館
【開館時間】 9:30~17:30(金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
【料金】 一般1500円 大学生1200円 高校生500円(※7月21日(土)~8月5日(日)は無料、要学生証提示) 中学生以下無料
【巡回】 2012年10月9日(火)~12月2日(日)九州国立博物館
「新美術新聞」2012年6月21日号(第1283号)1面より