シュールの手法で多様なイメージを表現
三澤新弥(安曇野髙橋節郎記念美術館 学芸員)
安曇野髙橋節郎記念美術館は、2003年6月28日に開館し、本年10周年を迎えた。これまで年1回、全国から作品を借用して企画展を行ってきた。開館10周年の本年は髙橋節郎の作品に著しい影響が見えるシュルレアリスムをテーマとする。
1913年に長野県安曇野に生まれた髙橋節郎は、やがて東京美術学校への進学を志望するが、父親に大反対されてしまう。そこで髙橋は、父の友人であり東京美術学校の教授であった結城素明に相談し、「工芸科なら食べていく道も多かろう」と、父を説得してもらい、1933年、同校の工芸科へ入学した。
1924年の「シュルレアリスム宣言」以来、この幻想的な表現は、文学から美術の世界に広がり国際的な美術の潮流となる。1929年には日本にもその影響が現れ、当時の公募展にもシュールな作品が寄せられている。古賀春江が雑誌のグラビア等を組み合わせて描いたコラージュのような作品を発表したのもこの年だ。また留学中の福沢一郎は、1930年にヨーロッパから多くのシュールな作品を日本に送り展覧会に出品している。このようにシュルレアリスムの衝撃がひろがっていった時代に、髙橋節郎は上京したのだ。
工芸科に入学した髙橋だが、画家への夢は断ち切れず、二科会の研究所で絵画を学んでいる。とりわけ古賀作品に憧れを抱き、古賀のアトリエを訪問するほどであった。この年、古賀は短い人生を終えるが、髙橋の古賀作品への憧れは、後年詠んだ和歌にも表れている。
「古賀春江の絵のあやし不思議さみるほどに 詩が絵になり絵が詩になる」
戦後、髙橋は漆パネルや乾漆立体の作品を精力的に発表する。平面作品には山々・星空等を幻想的に描き、立体作品では重力を感じさせない柔らかな造形を創作した。髙橋は少年期に夢中になって土器のかけらを発掘し、古代へのロマンをかきたてていたというが、その体験を思わせる土偶や埴輪のような古代のイメージをこれらの作品のモチーフにしている。宇宙や古代のイメージを同じ画面に、同時に表現するには、シュルレアリスムの方法が最適であった。無関係な事物を同時に描くシュールの手法で、夜空に浮かぶ多様なイメージを自由に表現し、装飾的な漆芸の技法で、不自然なことなく漆黒の画面を構成していく。髙橋節郎の幻想的な作品は、画面に散りばめられた事物をたどっていくと、故郷安曇野にたどり着く。これは高らかに歌い上げた故郷への讃歌なのだ。
【会期】 2013年7月13日(土)~9月1日(日)
【会場】 安曇野髙橋節郎記念美術館(長野県安曇野市穂高北穂高408-1)※アクセス ☎0263-81-3030
【休館】月曜ただし7月15日開館、翌日休館
【料金】 一般600円 高校生・大学生400円 中学生以下・70歳以上無料
【開館時間】 9:00~17:00
【関連リンク】 安曇野髙橋節郎記念美術館
「新美術新聞」2013年7月11日号(第1317号)1面より