国画会の会員有志11名による「個の地平」が第7回展を迎えた。齢80代から60代の幅広い作家が魅せる夏の競演は、「個性、成熟、洗練」の画風が響き合うグループ展として定着し、なお進化を続ける。出品作家の見どころを美術評論家の宝木範義氏に寄稿いただいた。
「個の地平線に寄せて」
宝木範義(美術評論家)
国展を舞台に活躍する画家たちの「個の地平」が、今年で7回を数えることになった。目下のメンバーは11人。ひとりひとりの個性的な活動を「地平」という言葉で集約した意図は、おそらく共に新たなるステージを求めて競いあおうとすることにあるだろう。
例えば最年長の井上悟は、記号化されたストリートシーンに、既視感が形成する美を見ている。また今年、ともに傘寿を迎える大沼映夫と島田章三は、対極的な描写ながら、描く喜びと見る喜びの距離をいささかでも縮めるべく、熟練の域に達した技巧に磨きをかける。大沼の抽象的画面は、フォルムとマチエールの両面において、その核心にさかのぼることで鮮明さを増しているが、島田はというとむしろ逆に、主題性を貫きつつ細部へと敷延する、柔軟な筆致とディテールの流麗な流れを作っている。また島田鮎子の近作は、むしろ描くことの率直な喜びに回帰した感すらあって、その喜びのダイナミズムが余韻豊かな新境地を示す作品に結実した。
津地威汎の写実的筆致と安達博文のポップ調も、現世に対する対照的なアプローチと見えるが、はたしてそうか。津地の描きだす大海の表に消えてゆく航跡の、虚無的とも言えるわずかな美の記憶。安達は戯画化した画面に、意識的に現実離れした色彩を加えることで、絵空事の人生を強調する。どうやらこの二人の行き着くところは、はるかな先で交わることになりそうだ。その行程は、天と地ほどに異なるにしても。
稲垣考二も同様に、濃密な写実の根底に魔界へ通じる回路を探り、いま眼前に触覚としてある身体性に疑義を呈する。このうえなくリアルであることによって、人の肉体はかえって幻想に近づく。佐々木豊はしかし、健康的なヒューマニズムに帰着する官能の顕在を通じて、人間への信頼を説いてやまない。
城康夫の画面は重さを削ぎ落とした平面化が、日本文化が洗練を重ねるなかで獲得した、手応えある軽さを再現する。田代甚一郎の微動しつつ透過しあい、反撥しあう不定形な線と色彩は、輪郭を撥ね除けることで生の実態を映しだそうとしている。増地保男がグラフィティの自由奔放さに通じる解放感を画面に吸収しつつ展開するイメージの集積も同様である。
以前、梅原龍三郎の小さな評伝を書いた際に、その後の国展の足跡についても再考したなかで、筆者なりの個人的な感想を持った。
国画会には描くことにがむしゃらに立ち向かうというより、カンヴァスと自己の間合いを計って、制作を楽しむ絶妙の呼吸があるように感じられたのである。ひそかなゆとり、しなやかな一途さと言ってもいい。「個の地平」とは、たぶんこの持ち味を含む視野のことであろう。
【会期】 2013年8月28日(水)~9月3日(火)
【会場】 髙島屋日本橋店6階美術画廊(東京都中央区日本橋2‐4‐1)☎03-3211-4111
【休館】 無休
【開館時間】 10:00~20:00
【料金】 無料
【巡回】 9月11日(水)~17日(火)髙島屋大阪店、9月25日(水)~10月1日(火)髙島屋京都店、10月9日(水)~15日(火)ジェイアール名古屋タカシマヤ
【参加作家】 (順不同・敬称略)
井上悟、島田章三、大沼映夫、島田鮎子、津地威汎、安達博文
稲垣考二、佐々木豊、城康夫、田代甚一郎、増地保男
【関連リンク】 髙島屋日本橋店6階美術画廊
「新美術新聞」2013年8月21日号(第1320号)1面より