由一のリアリズムに注目
古田亮(東京藝術大学大学美術館准教授)
意外なことに、東京で高橋由一展が開催されるのは、明治32(1899)年に上野公園で開催されたという「高橋由一翁追善展覧会」以来、実に113年ぶりということになる。没後100年記念の前回の回顧展は、神奈川県立近代美術館(鎌倉)他で開催されたが、東京では開催されていない。東京藝術大学では1990年に《鮭》の特集展示を行ったが、所蔵品を中心とした小規模な展覧会であった。
この度の展覧会は前回同様に代表作を網羅するものであるが、その時と違うのは、重文に指定されている2点の代表作《鮭》と《花魁》が全会場、全会期展示されるという、なんとも贅沢な点にある。また、《第十一代山田荘左衛門顕善像》など、近年新たに由一作と認められた作品を加えていることも話題のひとつといえよう。あるいは、《甲冑図(武具配列図)》のように、ここ十数年のあいだに修復を終えて見違えるように鮮やかな色彩を取り戻した作品も多数含まれる。由一再評価の絶好のチャンスだといってよいだろう。
私見では、近年の由一の再評価の方向性には、ふたつあるように思われる。ひとつは、最近の美術界に再び隆盛をみているリアリズム絵画との関係である。もうひとつは、美術史研究から見て、由一の様式が浮世絵や水墨画などの近世以前の影響を色濃くもつものであるという認識に立った、由一画のユニークさを見出そうとする視点である。
リアリズム絵画との関係から注目されるのは当然のことと思われるが、現在の作家たちが見せるリアルな表現と、由一のリアルな表現とは、その描法や目的において大きく異なったものであることを知っていただきたいと思う。
《鮭》を例にとろう。普段小さな図版でしか見ていないからだろうが、まず実作品の意外な大きさに驚かされる。由一がねらったのは写真のようにリアルに描くことではなく、本物と見まがうように実物大に描くことを重視したのだ。また、その質感表現には油絵具特有の粘りけや盛り上げ表現を駆使しており、間近で見ると意外に粗雑な描写も見られる。筆跡も見えないほどに細密に描き込んで「写真みたいに」見せるというよりも、「触ってみたくなる」ような迫真性をもとめていたからだ。映像に慣れ親しんだ現代に生きる私たちには、リアルであることは視覚的にリアルであることと思いがちだが、触覚的なリアルというものがある。
このような特徴をもつ作品は、実はヨーロッパを探してもない。この、物真似ではないところに生まれた極めてユニークな芸術的価値が近年とみに見直されている。そして、同時に、そうした独自性が何に由来するものであるかという問いに対して、もうひとつの視点である「江戸」というキーワードが浮かんでくる。つまり、40歳で明治維新を迎えた由一は、それまでにたっぷりと江戸の空気を吸って育ち、狩野派の修業をし、水墨画を得意とする絵師であったのであり、そうだからこそ、西洋を探してもいるはずのない「和風油絵師」が誕生したという評価が可能となるのである。この展覧会では、そうした視点を重視し、広重の浮世絵や司馬江漢の洋風画などもあわせて展示している。近代洋画の開拓者が、いかに伝統と深く結びついていたのかをご覧いただくことで、おそらくは〈日本の近代〉全般に共通する、矛盾や葛藤を体感することもできるのではないかと考えている。
【会期】2012年4月28日(土)~6月24日(日)
【会場】東京藝術大学大学美術館(東京都台東区上野公園12-8)
☎03-5777-8600 【休館】 月曜
【開館時間】 10:00~17:00 (入館は閉館30分前まで)
【料金】 一般1300円 高大生800円 中学生以下無料
【巡回】 7月20日(金)~8月26日(日)山形美術館、9月7日(金)~10月21日(日)京都国立近代美術館
「新美術新聞」2012年5月1・11日号(第1279号)5面より