【上野】 遠藤彰子展/南嶌宏・田中正之

2014年01月16日 19:40 カテゴリ:二紀会

 

「四季 秋 在り過ぐす」2010年 333.3×497.0cm

「四季 秋 在り過ぐす」2010年 333.3×497.0cm

 

 

全身画家、遠藤彰子の黙示録世界

南嶌宏(女子美術大学教授)

 

画家遠藤彰子さんの「圧倒的」な個展『魂の深淵をひらく』が開催される。敢えて「圧倒的」とカギ括弧に入れて強調せざるを得ないのは、そう表記する以外にそのスケール感を伝えることのできない、私の表現力の貧しさによる。しかし、その貧しささえも決して恥と思わない私の心の高ぶりは、もちろん千号という巨大な作品をはじめ、五百号以下100点を超える、驚愕の展示作品数に起因するものでもあるのだが、それ以上に40年以上にわたり、寝食を忘れ、神に差し返すように、画家が紡ぎ出すべき人間の魂の深淵に広がる光景を、一人黙々と描き続けてきた遠藤彰子という、一人の画家の矜持に対するものであることをご理解いただきたい。

 

会場である上野の森美術館の展示室すべてを覆い尽くすであろう、その矜持であり決意の表れである圧倒的な作品群を眼前にして、二紀会の重鎮の一人であり、昭和会展林武賞受賞、安井賞受賞、そして芸術選奨文部科学大臣賞受賞といった、我が国の洋画壇を代表する履歴の華々しさとは別の次元において、本展は画家が神との約束において、「全身画家」となってその生を全うする存在であり、「画家」なる呼称がいかに崇高なる称号であったかを思い出す場となるにちがいない。

 

初期の「街」、あるいは「迷宮」のシリーズ以後、遠藤さんは「遠い日」、「私は来ている此処に、何度も」、「黄昏の笛は鳴る」、「薔薇窓に影ほのめく」、「死なしむな夢」、「翳をくぐる鳥」、「遠き日がかえらしむ」、「空掠める翼」、「在り過ぐす」といった、詩的で黙示録的なタイトルを独特な光の中に響かせながら、最小と最大、最近と最遠、表層と深遠といった二極をその筆先に溶け合わせ、いつか誰もが懐かしむにちがいない、先験的な記憶の片鱗を蘇らせる。そして、思い出さなければならない記憶でありながら、それが何であるかを思い出せないでいた私たちに、そのヴェールを剥ぎ取りながら、魂の深淵に眠る一場面一場面をもう一度経験させてみせるのだ。それはあたかも瞬時に消えゆく世界の記憶を必死でつなぎ止める、終わりなき営為にほかならず、その永遠への途上の全身画家の姿がここに開示されるということなのだ。

 

「画家」とは何の謂いなのか。「絵」とはいったい何の謂いなのか。全身画家遠藤彰子さんの黙示録世界。神との距離において浮上するというべき、その光を受け止めたいと思う。

 

 

「鐘」2007-2008年 333.3×745.5cm

「鐘」2007-2008年 333.3×745.5cm

 

長い髪と創作と

田中正之(武蔵野美術大学 美術館・図書館 館長)

 

遠藤彰子さんに初めてお会いしたときに、最も印象に残ったのは長くのばされた髪であった。実際にはそれほどロングヘアーだったというわけではなかったのだが、強い存在感があり、事実を超えた印象としては、まるでこちらにまとわりつき、とらまえるかのような迫力をもって遠藤さんの背後に潜んでいた。アールヌーボーの頃のイメージ、たとえばアルフォンス・ミュシャのポスターや、あるいはエドヴァルド・ムンクの《吸血鬼》といった絵画作品など、そういったものに描き出された髪のように何か神秘的な生命力を宿しているかのごとく感じられた。この髪に、遠藤さんの創作の秘密があるのではないか。いささか強引かもしれないが、そう考えてもいいのかもしれない。もちろん遠藤さんの作品のなかで毛髪が何か特別なモチーフとなっていることはあまりない。にもかかわらずそう思えるのは、遠藤さんの作品世界の根幹をなしている、個人の内面性とその個人を取り巻く環境あるいは世界とのあいだの対峙といったテーマを、その髪が象徴しているように感じられるからである。それは、内面世界と外的世界のあいだの対峙をつなぐ何かとして機能しているかのようだ。

 

2012年に武蔵野美術大学の美術館で「リレーション」と題した展覧会が開催された。この展覧会は、自分自身の作品と、自らが選んだ先達の作品(さまざまな意味で自分に多大な感化を及ぼした先達の作品)とを並べて展示するという企画だったのだが、遠藤さんが選ばれたのは、鴨居玲さんの作品だった。鴨居さんは、遠藤さんの絵をとても迫力があると高く評価される一方、同時にまた、その迫力に情念のようなものがあるともっとすばらしい、髪をのばすともっといい絵が描けるはずだ、と述べられたそうだ。鴨居さんがそう指摘されたのは、女性の情念と毛髪とを結び付ける伝統的なシンボリズムがあるからだが、その象徴性を借りて、鴨居さんは、遠藤さんの作品で未だ十分には開花せずにいた内面性の表出の重要性を言い当てたのではないだろうか。

 

髪を通じて表出された内面世界は、外的世界へと差し向けられた糸のように長くのび、他者と関係を結び、世界との間に錯綜した網を織り上げていく。人間が心のなかにもっているものと、それをとりまく環境とがからみあっていく。遠藤さんの描く作品は、どれも渦巻くようにうねり、安定を失った空間がそれ自体ひとつの生命体のようにのた打ち回っていて、それはまるでミュシャやムンクの描く毛髪のモチーフが、空間そのものの表現へと置き換えられたかのようである。そのように見てみると、髪は遠藤さんの創作の背後に潜んでいるのだと言えるのではないだろうか。

 

「新美術新聞」2014年1月21日号(第1333号)8面より

 

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上野の森美術館 魂の深淵をひらく

【会期】 2014年1月15日(水)~28日(火)

【会場】 上野の森美術館(東京都台東区上野公園1-2)☎03-3833-4191

【休館】 会期中無休

【開館時間】 10:00~17:00(入館は閉館30分前まで)

【料金】 一般600円 大学生400円 高校生以下無料

 

日本橋三越本店 おりおりの刻を語る

【会期】 2014年1月15日(水)~21日(火)

【会場】 日本橋三越本店本館6階美術特選画廊(東京都中央区日本橋室町1-4-1)☎03-3241-3311

【休廊】 会期中無休

【料金】 無料

 


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