“功罪”両面もつ複雑な形成示す
ラワンチャイクン寿子(福岡アジア美術館学芸員)
北東アジア美術の20世紀前半は、官展の時代であった。
1907年に東京で文展が始まり(後に帝展、新文展)、その制度は、当時日本の統治下にあった旧朝鮮や台湾へも文化政策の一環として導入され、22年にはソウル(旧京城)で朝鮮美術展覧会が、27年には台北で台湾美術展覧会が創設された。さらに、日本の強い影響のもとに中国東北部に建国された「満洲国」でも、38年から満洲国美術展覧会が開始されたのである。
これら官設の公募美術展(官展)はいずれも、政府の肝いりで実施され、当時最大規模の美術活動であり、紙上で大きく取り上げられて世間の注目を集め、社会的に絶大な影響力をもっていたばかりか、作家個人の制作活動、名声、生計にも深く影響を及ぼしたのである。これら社会的な現象まで考えると、官展は、当時もっとも華やかな美術イベントだったと言え、それを抜きにしては近代美術を語ることはできない。
しかし、官展は華やかだっただけでなく、功罪の両面をもつ複雑なものであった。
展覧会や公募の制度が各地に定着し、新人作家の登龍門として機能し、西洋画の普及のみならず各地の伝統を刺激しつつ日本画や東洋画の確立を促すなど、官展が各地の近代美術の形成において基礎の一つになった点は否定できない面である。さらに、美術を特権的な階層ばかりでなく大衆も享受できる時代を作った点でも、官展の存在は大きかった。
その一方で、審査をめぐる問題は、文展・帝展でも深刻であったが、「外地」と呼ばれた旧朝鮮、台湾、旧満洲の官展ではなおさらであった。審査に招かれた日本人の大家の審査基準や植民地への期待/願望などが入選を左右したことで、日本人によって現地の美術が方向づけられるという、今日の視点でみると現地の内発的な美術の展開を阻むような結果を招いたのである。
とはいえ、こうした負の面も含めてもなお、官展は、近代の代表的な作家を輩出し、優れた作品を多数生み出し、また在野の活動も作りだしていくほど、当時の美術活動の要だったのであり、当時はまさに官展の時代だったのである。
展覧会は、北東アジアで唯一共通して実施されたこれらの官展を切り口に、はじめて日本、韓国、台湾、中国東北部の20世紀前半の美術を概観するものになる。
とくに官展に参加することで、「外地」の作家たちが文展・帝展系の手堅い写実主義や西洋モダニズムを摂取し、日本近代美術と関わりをもちながら、各社会の文化的な伝統や美意識に即して自らの表現と郷土のイメージを追求した様子を紹介している。日本、旧朝鮮、台湾、旧満洲を拠点に活躍した96作家による135点の作品からは、それぞれ独自に展開した近代美術の様相も垣間見られるにちがいない。
【会期】 6月14日(土)~7月21日(月・祝)
【会場】 兵庫県立美術館 (神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1) ☎078-262-0901
【休館】 月曜、ただし7月21日は開館
【開館時間】10:00~18:00 (金・土曜日は20:00まで、入館はそれぞれ閉館30分前まで)
【料金】 一般1300円 大学生900円 高校生・65歳以上650円 中学生以下無料
【関連リンク】 兵庫県立美術館
※本展は福岡アジア美術館(2月13日~3月18日)、府中市美術館(5月14日~6月8日)を巡回しました
「新美術新聞2014年3月1日号(第1337号)6面より
〈招待券プレゼント〉
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締切 6月15日(日)必着