シュルレアリスムの先駆者
29年の生涯をみつめ直す
大島浩(松本市立博物館学芸員)
矢﨑博信(1914―1944)という画家をご存じだろうか。2003年に東京国立近代美術館で開催された「地平線の夢―昭和10年代の幻想絵画」展に選出され、再評価の高まった作家である。
矢﨑は1914(大正3)年、長野県諏訪郡永明村塚原(現茅野市)生まれ。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)在学中の35(昭和10)年に有海千尋、小山田二郎らと「アニマ」を結成。アニマとは生命を意味し、「行動主義」を提唱したフランス文学者小松清によって命名された。シュルレアリスムを標榜した日本の先駆的グループである。当時、矢﨑は、フロイトの精神分析や潜在意識に興味を持っていた。翌年の36(昭和11)年に、浅原清隆、井上愛也、今井康雄、富岡宏資、山鹿正純に矢﨑を加えた6名を同人とし「動向」を結成。第1回東京報告絵画展を開催している。この「動向」は、シュルレアリスムを社会派リアリスムに展開させた独創に溢れたグループである。1950年代における「ルポルタージュ絵画」を提唱した山下菊二や池田龍雄の先駆としても近年評価されている。
矢﨑は、機関誌「動向」で次のように述べている。「夜はそこに浮かぶ花や鳥ではない。花を咲かせ鳥を飛ばせる力として理解されよう。人間は思い出の中に怨恨の歌を求めて夜の世界に下りて行った、花と鳥を我々に送る力はこの夜の深さの終わりを満たす怨恨性ではないか。」瀧口修造らによって評価された矢﨑の先進性は、現実と非現実(無意識の夢)との交流を具体的に表現している点にある。その顕著な例が、38(昭和13)年、第8回独立展に出品された《高原の幻影》(諏訪市美術館蔵)であろう。
また矢﨑は、帝国美術学校映画研究会発行の『T映』2号に「写真・映画に対する絵画位置の測定」と題しメディア論を展開している。その理論から制作に至った《街角の殺意》(宮城県美術館蔵)は、映画《戦艦ポチョムキン》(制作1925年)の映像を想起させ、視覚言語としてのフォトモンタージュ効果が顕著な作品だ。矢﨑の絵画制作は、思考を再構築する作業ともいえる。
その後帰郷し、岡谷で教職に就いた矢﨑は、《時雨と猿》(宮城県美術館蔵)などの制作を通じ、俳諧におけるシュルレアリスムの幽玄を絵画に求めたが、残念ながら29歳の若さで戦地に散っている。
今回、油彩画約70点に加え、日記をはじめ未公開のスケッチや執筆原稿が数多く公開される。遺族の熱意から奇跡的に残った資料は、作家の制作過程や思考の背景を炙り出してくれることだろう。今、時代の閉塞感は妙に矢﨑が生きた昭和10年代と重なるようにも感じる。今回の展覧会は、矢﨑博信の創作の全貌を検証する機会である。これらの作品を脳裏に焼きつけて欲しい。
【会期】 2014年7月26日(土)~8月31日(日)
【会場】 茅野市美術館(長野県茅野市塚原1-1-1茅野市民館内)☎0266―82―8222
【休館】 火曜
【開館時間】 10:00~18:00(7月26日は10:30より開展式を開催し、終了後に開場)
【料金】 一般500円 高校生以下無料
【関連リンク】 茅野市美術館
美術教室「もう一度みつめる家族、友人」
【日時】 2014年7月27日(日) 9:30~13:00
【講師】 藤森民雄(彫刻家、新制作協会会員、横浜国立大学教授)
【会場】 茅野市民館ロビー
【料金】 1人200円、先着10組(要事前申込み) ※対象は家族、友人(小学5年生以上)
美術を語る「矢﨑博信」
【日時】 2014年8月2日(土) 14:00~
【ゲスト】 大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)、大島浩(松本市立博物館学芸員)、矢﨑俊輔(音楽家・矢﨑博信遺族)
【会場】 茅野市民館アトリエ
【料金】 無料
新美術新聞2014年7月21日号(第1350号)1・2面より