【特集】 「存在の美学 第三回伊達市噴火湾文化研究所同人展」 野田弘志×永山優子×小尾修 特別鼎談

2014年04月22日 10:48 カテゴリ:最新のニュース

 

2010年より隔年で開催されてきた「存在の美学 伊達市噴火湾文化研究所同人展」が、第3回展を迎える。日本における写実絵画を、その黎明期より牽引してきた洋画家・野田弘志と、野田の薫陶を受ける永山優子、廣戸絵美の同人3名を中心に、招待作家として今村圭吾、小尾修、松永瑠利子、松村卓志、森永昌司、李暁剛、渡抜亮が出品。本特集では、今展を「区切り」と語る野田弘志の真意と写実絵画への想いに出品作家の永山と小尾が耳を傾け、それぞれの考えを語る。

 

 

― 野田弘志との出会い ―

 

小尾 僕は在学中から白日会展に出していましたが、野田先生と話したことはありませんでした。最初は、1991年にセントラル美術館油絵大賞展で大賞を獲った時。先生が「お前、やる気があるならうちに来い」と電話を下さったんです。

 

野田弘志「崇高なるもの Op.2」 2013年 200.0×150.0cm 油彩・キャンバス ホキ美術館

野田 あの頃は2人とも横浜に住んでいて家が近かった。

 

小尾 はい。それで色々と講義を受けたり、画廊を紹介してもらったり、「存在の美学」(※1)にも05年から呼んでもらっていて、何かと可愛がっていただいています。

 

永山 セントラルの時の受賞作、私も若い頃に見ました。広島信用金庫のウインドウに飾られていて、まじまじと見入ったのを覚えています。

私は大学で初めて野田先生にお会いして。それまでも絵を学んでいましたが、先生のように「描く事が生き方そのもの」とおっしゃる方は初めてでした。今も伊達市で近い所に暮らしていますし(※2)、制作に関してもすごく影響を受けていると思います。

 

野田 僕が考える芸術というのは「真実の追究」。フローベールは「ものを書くのはひとつの生き方である」と言った。画家もそうあるべきだと僕は思っている。ただ、本当に描きたい絵を描くと売れない。食おうとすると売り絵画家になってしまい、苦しみが始まる。その点、小尾君はあまり売り絵ではない絵を描き続けているね。赤ん坊の絵を描いていたけれど、あれ、売れていないだろう。

 

野田弘志

小尾 売れないですね。自分の家に置いてあります。

 

野田 永山さんも僕が脅かしたわけではなく、小尾君以上に売り絵を描かない。それぞれのリアリズム観があるのだと思うけれど、どちらも心棒は変わらない。強情っぱりですよ。こういう絵描きはなかなかいない。

 

 

― 画家としての哲学 ―

 

野田 僕らは西欧的なリアリズムをやろうとしている。リアリズムは色々な形で過去からあったけれど、常に「人間」という存在がテーマにあった。その流れにはキリスト教という一神教が巨大な柱になっている。絶対的な精神であり魂。生まれたときからそうした環境に浸っていて、日本とはまるっきり違う。僕らがそれを追求するならば、一般的な「芸術」を超えるほどのものを目指さなければならないし、自分の哲学を持っているべきだと僕は思う。

 

永山 自分も含めた同年代や若い世代を見ていても、何か哲学を持って制作をしないといけないと思うのですが、それが日常生活にまで結びついているという感覚がまだありません。どこか借り物のようで。自分の中にあるもの、実感を伴ったものを表出するにはどうすれば良いのかと制作の
たびに感じています。

 

 

永山優子「dignity」 2013年-[制作途中] 116.7×116.7cm 油彩・キャンバス・パネル

野田 そこが一番難しい。僕も理屈でヨーロッパを勉強していて、結論として哲学が無ければしょうがないなと思うのだけれど、じゃあ哲学を持つというのはどういうことか。やはり生きて体験して考えて、それを繰り返しているうちに、どうしてもこれをやらなければいけないという何かがつかめるはずで、それだったら命をかけて出来る、「殺されてもやる」というものになると思う。難しいですよ。でも、すごい芸術家と言われるヨーロッパの作家には間違いなくそれがある。

 

小尾 僕は哲学を語れと言われてもうまく語れるタイプではないけれど、絵描きの哲学というのは、あくまでも筆をとって描く行為の中にあるのではないかと思います。知識の上だけで遊んでいたのではきっと絵は死ぬんですよね。目の前にあるものに対して、なぜ描きたいのか、どこが美しいと思うのか、というやり取りそのものじゃないかなと思う。僕にとっての美しさは、例えば表面的な清潔感とか、ムードとか、均整がとれているとか、それらを全て取り払ったとしても、そこに残る存在の強さです。

 

野田 写実なんて古いと言われるし、現代アートの連中は馬鹿にするかもしれない。それでも写実をやっている。その存在理由を考えてしまう。僕は、写実は今後も絶対に滅びない、唯一の柱になるべき存在だと考えている。絵って何だ。人間って何だ。そういうことを突き詰めようとしているのが写実だと思うんだよね。

 

永山優子

小尾 文化庁の海外派遣制度でパリに留学した時、ボザール(日本でいう東京藝術大学)の様子を見る機会がありました。フランスでは写実なんて「アカデミックだね」で終わりと聞かされていました。でも、学校では技法と材料を綿密に教えていて、人体デッサン専用の教室もあり、解剖学を交えた授業が常時開設されていた。それを踏まえた上での現代アートだったんです。日本の美術大学全般を見渡してみると、残念ながら全体としては、そうしたところをスルーしてしまおうという傾向があるように思います。

 

永山 私が受けた美術解剖学の授業も、確かにひたすらテキストを読むだけでした。

 

 

野田 磯江君(※3)も同じ事を言っていた。マドリードではもっと徹底的に教えると。広島市立大学の教授になってからも、「またマドリードに行って勉強して、それを生徒に伝えたい」と本気で行ってしまった。

 

小尾 どこか知識の獲得のみにこだわる気風がある。それをどう作品に結びつけるかが、肝要だと思うんです。

 

 

<2>に続く

 


 

(※1)1996年に発足、2005年に活動休止した現代写実絵画研究所(創設メンバー:野田弘志、沢田光春、磯江毅、小川泰弘、芳川誠、大畑稔弘)の同人展として開催されたのが始まり。野田、永山、廣戸を中心とする現「存在の美学」(2010年から開催)は、第2期にあたる。

 

(※2)2005年に伊達市が設立した伊達市噴火湾文化研究所。同研究所の事業のひとつである「だて噴火湾アートヴィレッジ」のスーパーバイザーを野田が、アートディレクターを永山が務めている。

 

磯江毅「収穫」

(※3)1970年代よりスペインを拠点に写実絵画を研究、マドリード・リアリズムの俊英として国内外で高い評価を受けた磯江毅(1954~2007)。今回、札幌芸術の森美術館を会場とする札幌展のみ、招待作家に青木敏郎、石黒賢一郎、磯江毅、大畑稔浩、五味文彦、今井良枝、沢田光春、水野暁、芳川誠の9名が加わる。

 

 

 

 

 


関連記事

その他の記事