平成26年度の文化勲章、文化功労者が10月24日に発表された(発令は11月3日を予定)。文化勲章は、洋画家の野見山曉治氏(93)らが受章。文化功労者には、洋画家の絹谷幸二氏(71)や小説家の黒井千次氏(82)らが決定した。
野見山曉治氏は、1921年に炭鉱町であった福岡県の穂波村(現・飯塚市)生まれ。幼い頃から絵に強い興味を抱き、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学するが43年に繰上げ卒業。52年に渡仏し、サロン・ドートンヌや国内の現代日本美術展などにも出品し、58年に「岩上の人」で第2回安井賞を受賞した。64年に帰国し、68年に東京藝術大学助教授、72年同大教授(81年まで)、86年に同大名誉教授。48年から64年まで自由美術家協会会員。
初期の具象的な作風は、形と色彩が自在に響きあう抽象的な絵画へと変化し、新鮮で力強い作品を数多く発表してきた。その功績から、2000年には文化功労者となった。
また、エッセイの名手として知られ、78年の日本エッセイスト・クラブ賞受賞「四百字のデッサン」をはじめ、著作は多数。戦没画学生慰霊美術館「無言館」の設立に尽力し、窪島誠一郎氏とともに菊池寛賞を受賞。東京国立近代美術館、北九州市立美術館など全国に作品が収蔵される。画家として多くの優れた作品を制作し続け、美術界の発展に大きく貢献した功績は顕著であると評価された。
野見山曉治氏のコメント
私は自己表現のために絵を描き続けてきただけなので、そのことを評価して頂いたことは大変ありがたいと思います。それと同時に、日頃から末席にいるような人間なので、人の真ん中に出るようなことになり、大変戸惑いも感じました。世間では私の作品を抽象と見る人もいますが、ものの形を追い求めてきた結果が今の作風です。抽象として見られること自体がまだまだ私自身の未熟さであると思っています。
絹谷幸二氏は1943年奈良県生まれ。小学生から油絵を習い、62年に東京藝術大学入学。壁画の古典技法・アフレスコ画法(フレスコ画)を研究した。大学院修了後に渡伊(71~73年)。74年に「アンセルモ氏の肖像」(東京国立近代美術館蔵)によって最年少での安井賞受賞となった。以後、独立美術協会展での発表を軸に、独自の鮮やかな色彩による明快で賑わいのある作品を発表。アフレスコ画法ももとに現代絵画の幅を拡大した。
89年に毎日芸術賞、2001年に日本藝術院賞を受賞し、同年に日本藝術院会員。作品は世田谷美術館、奈良県立美術館などに多数収蔵される。また、長年に渡って後進育成に尽力し、現在は東京藝大名誉教授、大阪芸術大学教授。2008年からは若手芸術家を顕彰する「絹谷幸二賞」にも取り組んできた。
長野五輪での公式ポスターやパブリック・アートの制作など、社会と芸術の架け橋としても多年に渡って貢献し、その成果は顕著であると評価された。
絹谷幸二氏のコメント
(文化功労者の連絡は)まさに青天の霹靂で、うれしかったです。画家というのは、孤独な道をずっと歩くものですが、絵を描くのはなにより楽しい。アート&ミュージックの世界は人類の喜びです。その「花」を咲かせたいと常に思ってきました。妻の支えには感謝のしようもありません。ときに鞭打ち、ときに励まされてきました。これからはまた健康に気をつけて、子どもたちに教え、そこから僕も学び頑張りたい。初心に帰るということですかね。
また、同じく文化功労者には小説家で日本藝術院長をつとめる黒井千次(本名・長部舜二郎)氏が決定。東京大学卒業後、会社勤務のかたわら創作活動に励み、受賞も数多い。主な作品は「時間」(芸術選奨文部大臣新人賞)、「カーテンコール」(読売文学賞)など。平成26年度の文化勲章は全7名、文化功労者は全17名。
文化勲章親授式は「文化の日」11月3日に皇居で、文化功労者顕彰式は11月4日にホテルオークラ東京で行われる。文化勲章のこれまでの人数は381人(現存者75人)、文化功労者は808人(現存者233人)。