戦後の日本現代美術史に大きな足跡
前衛美術家、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト、写真家といった複数の顔を持ち、日本の戦後美術界で大きな存在感を示した赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい<本名・克彦=かつひこ>)氏が26日午前6時33分、敗血症のため東京都内の病院で亡くなった。享年77歳。千葉市美術館での個展を間近に控えての事だった。
赤瀬川氏は1937年神奈川県横浜市生まれ。1958年に第10回読売アンデパンダン展に初出品を果たし、1960年に篠原有司男、吉村益信、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」の活動を開始し、「反芸術」を代表する作家となった。またこのころ制作した一連の《模型千円札》が「通貨及証券模造取締法」違反に問われ、1965年より「千円札裁判」を闘うことで、その名は現代美術界の外にも広まった。80年代以降は、「超芸術トマソン」「路上観察学会」「ライカ同盟」の連載や活動を通して、街中で発見した奇妙な物件を写真に記録・発表するなど独自の視点で次々と表現活動を展開、戦後の日本現代美術史に大きな足跡を残した。
また小説家・尾辻克彦としても頭角を現し、81年の「父が消えた」で芥川賞を受賞。98年の「老人力」では翌年の毎日出版文化賞特別賞を受賞した。
現在、町田市民文学館では日常の中に潜む謎に向き合い、常識を疑う姿勢を貫く赤瀬川の「創造の秘密」に迫る「尾辻克彦×赤瀬川原平-文学と美術の多面体-」が開催中。また28日からは千葉市美術館でその足跡を辿る大規模個展「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」が開催される。
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(2014年10月28日追記)
赤瀬川氏の逝去に際し、氏が新美術新聞(1984年6月21日号)に寄せたエッセイ「パイクの居眠り」を転載します。同エッセイは1984年、西武美術館(東京・池袋)での個展のために来日したヨーゼフ・ボイスが赤坂・草月ホールでナム・ジュン・パイクと行った「アクション・ピアノ・パフォーマンス」を観て執筆されたものでした。