平成26年度文化功労者に顕彰された洋画家・絹谷幸二の受賞後初となる記念の個展が開催される。出品はイタリア・ルネッサンスのボッチチェリ、日本の俵谷宗達ら美術史上の巨匠へのオマージュ大作、ライフワークでもある仏像、富士、花などの新作40余点。小紙では絹谷幸二氏と旧知の間柄である武藤敏郎・東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長による特別対談「レガシーとして未来に何を残すか」をテーマに幅広く語っていただいた。(インタビュー・テキスト/編集部)
■「東京2020」はソフトのレガシーこそ残すべき
―絹谷先生は、平成26年度文化功労者として顕彰され、3月半ばには第66回NHK放送文化賞を受賞されまして、先生のご活動の幅の広さを多くの人が知るところとなりました。文化功労者顕彰記念の展覧会の概要をお聞かせください。
絹谷:三越では震災の後に展覧会を開催して以来3年半ぶりなのですが、今回はオリンピックも目前に迫っておりますので、《エネルギー》というテーマで作品を描かせていただきました。風神・雷神も釈迦三尊もすべてエネルギーの神様なので、そういう神様、仏様そして多彩な色彩の下で生まれてくる生命の讃歌を描かせていただきました。かつて私はイタリアへ留学しておりましたので、イタリアの作家たち・巨匠たちのレガシー(遺産)が長い年月を経て今日まで残っていますので、そういった作品へのオマージュと現代とをぶつけて起こるエネルギー、光のエネルギー、熱のエネルギー、風のエネルギー、人間の心のエネルギー、イメージのエネルギーといったものを画面に描かせていただいたということです。今回の作品で、震災復興の、震災直後に描いた絵から3、4年経って、立ち上がろうとする日本が、そしてオリンピックという、僕からみれば、世界的な大きなエネルギーの祭典といいますか、人間讃歌の祭典に合わせて、共鳴したらいいなという意味で作品を描かせていただきました。
―武藤先生は論文『東京オリンピック・パラリンピックは世界を変える』(2015年1月)で、オリンピックの歴史などをいろいろな形で語られ、“東京オリンピック”が過去においても復興と重なっている―とのキーワードがあるとお聞きしていますが。
武藤:1964年、前回の東京オリンピックは戦後19年目に行われました。世界の視点では、まだ「東京は焼け野原からぼちぼち立ち上がったか」の印象でした。国際社会にはまだ認められていなかった。55年ぐらいから日本経済は少しずつ高度成長へ向かい発展し始め、1960年代はまだ戦後のイメージを引きずっていたのです。そこでオリンピック誘致は大体7年前に決まるので、昭和30年代前半ですが、そのときに東京オリンピック誘致を決めた。当時は、日本はそんな世界的イベントを実現するだけの力があるのだろうかという認識だった。ですが、高速道路、新幹線を造って、非常に短期間にインフラ投資を行い、焼け野原のイメージは一掃されました。同時に世界から来る人たち―当時、外国人が日本に来ることは一般的な現象ではなかった―これを一挙に迎えることになった。「1964年」は、実はIMF8条国という国際的な通貨システムへの参加ができ、OECD加盟国という先進国の仲間入りをした、日本が変わり、戦災復興を名実共に果たした年なのです。
今回は、3・11の大津波の映像と福島原発が爆発した映像、これは世界に配信されていますが、いまだにその映像は繰り返し報道される。だから日本に行っても大丈夫なのかと思う人たちもいる。我々はここに住み、それは克服したと思っているけれど、世界はそうでもない。従って東京は放射能の心配などないし、東北3県も復興したぞという姿を明示する重要な意味が2020年にはある。それは「復興」というキーワードで説明できる。さらに遡って幻の東京オリンピック―1940年のオリンピックでは関東大震災からの復興をどうしたらいいかと頭を悩ませたときに、オリンピックを招致しようということになった。ところがたまたま1940年は皇紀二千六百年と重なり、当時の社会風潮からもっぱらその話の方へ流れてしまったのですけど、発想したのは実は震災復興でした。
奇しくも幻になった東京オリンピックも含め、3回とも復興が人々の頭の中にあったのです。そうとらえると、われわれにとっての意味合いもまた違ってくるのです。それを強く訴えたい。
―その意味合いとはどういうことですか。
武藤:東日本大震災からの復興はまだ道半ばです。何故かというと、2020年東京オリンピックは震災復興にとっては甚だ障害でこそあれ決して自分たちのためにならないと思う人がいる。確かにオリンピックが決まった途端に建築労働者の賃金が上がり、資材価格も上がり、ご承知のとおり日本で行われる建築土木工事のコストは相当上がった。その観点で見ると、東北3県にしてみれば人手不足で復興が進まない、と言う人もいる。しかしこの「東京2020」のタイミングが、それは結局巡り巡って被災3県のためにもなる。
東京オリンピックは東京だけに、好影響があるかも知れないが関係ない所には何の恩恵もないと思う人たちもいますが、それは沖縄から北海道まで全国的な広がりをもった活動です。今は1,300万人ぐらいですけど、オリンピック前後の頃には恐らく2,000万人の外国人が来る。その人たちは当然、地方も見てまわる。観光があるし、オリンピック選手団も事前に入国して各地域でキャンプを張ります。それを受け入れた地域は、その選手のスポーツ、あるいはその選手の国との交流が非常に活発になります。実際に実績も沢山あり、長野冬季五輪とかサッカーのW杯でもありました。小さい村に選手団が来て、それ以後ずっとその村はその国と交流を続けている事例です。その地域の子供たちはものすごく視野が広がり好影響もありました。地域的な広がりが間違いなくあるのです。それ以外にもオリンピックはスポーツの祭典なのですけれど、スポーツを超えて文化とか教育とかさまざまな分野に広がりを持つ可能性もあります。
―2020東京ではどんなレガシーを残せるのでしょうか。
武藤:もう一つは、本日のテーマにも上がったレガシーですけど、オリンピック・パラリンピックを2020年の一過性のイベントに終わらせてはいけない。その前にムーブメントを盛り上げ、オリンピックを成功させた上で、その後に一体何が残るのか―それはレガシーです。そのレガシーとはたとえば物理的には競技場が残って、一般市民がそこでスポーツができる、そういう目に見えてはっきりしたレガシーもある。あるいは1964年の時の高速道路とか新幹線とか、これは今のわれわれにとって不可欠のレガシーだと皆解かりますけれど、2020年になると最早日本は成熟した国。そうすると何がレガシーか、むしろハードよりはソフトのレガシーが注目されるのではないか。
ソフトのレガシーも、たとえば今や情報通信技術が発達していますから、世界中からオリンピックを見に集まる人たちは、スマホを持って来る。東京へ来てあるアプリをインストールすると、自国語でオリンピックの案内が見られる。それから自国の選手が出る競技がいつ・どこで行われ、そこに行くにはどうするのかということが全部案内される。これは大変な情報技術ですけど、今の日本の技術では簡単にできる。問題は、ある程度お金をかけて、それがどこでも手に入ることが大事です。恐らくそうなる。これはソフトのレガシーです。それから、そういういろいろなことをやっている中から、人々の心の中にグローバルな視点、それから人種も多様な人がくる、生活習慣が全然違う、挨拶のしかたも違う、食べるものも違う、宗教も違う、政治体制も違う、もう違うものだらけが集まってくるわけです。だけどお互いにリスペクトして、その違いを認めた上で共存していこうという共生社会がいかに大事かということを、小学生中学生も感ずるでしょう。これは次世代に対する大きなレガシーです。われわれ大人はわかっているかも知れないけれども、子供たちがそういうことを実感する、肌で感ずるということも非常に重要なことだと思うのです。そういうことでわれわれはレガシーということを重視していきたい。
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