同じ時代を生きた二人の天才絵師
18世紀の京都は、「京都画壇のルネサンス」(辻惟雄MIHO MUSEUM館長)ともいえる創造の息吹があふれていました。伊藤若冲(1716~1800)、与謝蕪村(1716~1783)、池大雅(1723~1776)、曽我蕭白(1730~1781)、円山応挙(1733~1795)、長沢芦雪(1754~1799)など、後世に名を残す絵師たちが新奇な趣向を凝らし、斬新な表現を競い合っていました。
華麗で細密な花鳥画や独創的な「枡目描き」による群獣図、童心を忘れぬ大らかな水墨画などを描いた伊藤若冲。南宗画の系譜を引く雄大な山水画や、自ら詠んだ俳句を賛(※)した軽妙洒脱な俳画などを描いた与謝蕪村。
二人の天才絵師はともに正徳六年(享保元年・1716)に生まれ、ともに40歳を過ぎてから本格的に絵画を描くようになりました。
若冲は京都錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれ、23歳で父親が亡くなったため四代目桝屋源左衛門として家業を継ぎます。40歳の時に次弟宗巌(白歳)に家業を譲り隠居、恵まれた環境で絵画制作に没頭していきます。
蕪村は摂津国東成郡毛馬村の農家に生まれ、20歳の頃に江戸へ出て早野巴人のもとで俳諧を学びます。27歳の時に巴人が亡くなり、約10年間僧形で北関東を放浪します。その後母の故郷といわれる丹後に約4年間滞在し、42歳頃京に移り住み還俗、妻帯して女児を儲けます。
二人は四条烏丸界隈、歩いて10分足らずの近くに住まいしていました。僧侶や公家、町衆や画家仲間など当時の「文化サロン」に共通の友人・知人は数多いものの、不思議なことに二人の直接の交流を裏付ける資料は一切発見されていません。
しかし、不惑の頃に片や俗から聖へ、片や聖から俗へと人生の転機を経て画業に勤しみ、ともに唐の詩人杜甫の「丹青の引、曹将軍に贈る詩」からの一節を印章に使い、また同時期にそれを使うのをやめ、晩年には寺院復興のためにそれぞれが企画力を発揮する、そんな二人に共通点を感じずにはおれません。
本展覧会は、若冲と蕪村の代表作品に加えて多くの新出作品を紹介します。また、ともに影響を受けた中国・朝鮮絵画や同時代の関連作品も展示し、同じ時代を生きた二人の天才絵師の画業をたどります。
(MIHO MUSEUM学芸員)
※賛(さん)は画賛(がさん)ともいい、山水画や禅画などの画中の余白に書き添えた詩・歌・文章などのこと。作者自ら賛を書くことを自画(自)賛という。
【会期】2015年7月4日(土)~8月30日(日)
【会場】MIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300)
【TEL】0748-82-3411
【休館】月曜、ただし7月20日(月・祝)は開館、7月21日(火)は休館
【開館】10:00~17:00(入館は16:00まで)
【料金】一般1,100円 高校・大学生800円 小・中学生300円
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