90回記念にあわせて特別対談を企画。長年にわたり絵画部で出品を重ねてきた島田章三会員と大沼映夫会員に国展の歴史と今を語っていただいた。
90回記念国展
【会期】4月27日(水)~5月9日(月)
【会場】国立新美術館
【料金】一般1,000円 大学生以下無料 ※5月6日(金)は観覧無料
■団体の継続に必要な若手の力
―お二人の出会い、国展との出会いは。
島田 60年ぐらいになりますか。大沼さんとは古いんですよ。
大沼 浪人のとき、阿佐ヶ谷洋画研究所で一緒でして、阿佐ヶ谷で一番きれいだったお嬢さんが、島田さんの奥さんの鮎子さんなんです。
島田 僕は横須賀だから毎日は通えず、すでに大沼さんはそこのボスみたいでした。「おまえそこで描け」なんて指図されて、ハイハイと聞いていました。(笑)
―その後、東京藝大在学中に国展に出品されたんですか。
島田 藝大へ入って、国展に出品したのは僕がちょっと早かった。4年の春に出したら初出品で国画賞をもらって。
大沼 名作だったですよ、島田さんの作品「ノイローゼ」は。
島田 今、考えれば破格の待遇でしょうね。当時としては、『国際写真情報』という大きい色刷りがあって、それに載ったぐらいだから。
大沼 あのころはまだ、そういう雑誌に絵描きが載ったんです。若い新人の絵描きとかも。
島田 大沼さんのデビューは僕らよりもっと鮮烈でしたね、特に「黒につかれて」という題の絵は、後に“大沼調”という黒い塊の色面で描く絵で一世を風靡したんです。
大沼 絵具を塗ればいいという感じの絵ね。だから学校の教室で絵を描いているときも、キャンバスをバンバン叩く音が出るような仕事で、隣りで亡くなった森本草介さんまでもがそういう音をたてて、あの立派な女性像じゃない、その前の仕事です。
―大沼先生も初出品で国画賞なんですね。
大沼 島田さんと同じです。
島田 ただ、他にもコンクール展があって、シェル賞、丸善賞、エンバ賞とか、それからパリ青年美術賞。そういうのが出始めたころです。団体展へ出して、そちらも狙っていたみたいなとこがあった。一発勝負で、当たった人も割にポッと出るけれど、持続したのは団体展の人という感じがありますね。なかでも国画、独立、新制作で誰が賞を取ったというのは、いつも気にしていましたから。独立は今年は誰々が取ったとか、松本英一郎だ、林敬二も出したとか、新制作だと渡辺恂三が出した絵はよかったとか。国画の場合は島田、大沼、佐々木豊とずっと賞を取っているから、国画は藝大の一つのコースのようになりましたね。
大沼 多分に団体展が継続するのには、いい若手作家が入ってこないとだめですね。島田さんが愛知芸大で、僕も東京藝大で教えたりして、後に誘ったわけではないですが優秀な学生が国展へ出すようになって、今そういう人たちが活躍しています。またその人たちも結構、美術学校で教えていて、さらにその次の人たちが国展へということで、国画会の場合はうまく行っているかな、という感じはしますね。
―その意味では、若い世代についてどう思われますか。
島田 どの辺から若いかだけれども、われわれの若い時というのは、ライバル意識を燃やしていろいろやって、足を引っ張ったり這い上がったり、そういうことをやりながら出てきて、この頃の若い人には、絵具まみれになってやってみる、ということが一番大事なことかも知れないですね。割に口でしゃべったりすると、絵というのはわかったような感じなんだけど、残っているのは目の前の白いキャンバスをどう処理するか。いかに結果を残していくかということなんですね。
大沼 多分、島田さんもそうだったでしょうけど、われわれの頃は先輩なんてそんなに気にもしなくて、俺たちが主流なんだ、自分が主流なんだという思いで仕事をしてきましたから。そういう点では、一所懸命描いた大きい作品を年に1回出品しておくということは、後を振り返るときにはいいですね。最終的に個展をやるにしても、年に1回制作すれば10年で10枚ですからね。
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