高まる表現のハードルを超えて
101+1年前に日本美術院を再興して以来、横山大観たちは、古典絵画から汲み上げた清水で「近代」的な構造をもつ日本画の土壌を豊かに潤すという「表現のハードル」を大正から昭和戦前期を通して超えることに成功した。だが、20世紀後半、戦後の日本画に要求されたのは美しいだけではなく、今を生きる「人間の息遣い」だ。どうにか生きようとする泥まみれの実感の中から日本画の「現代」は始まったのである。
そうした現代絵画としての日本画の新生を追究してきた松尾敏男さんが今夏、鬼籍に入られた。一つの時代の終焉を思いながら、嘗て松尾さんが語っていたことを思う。それは、画家は絵によってのみ、観る者を遠くにいざなうことができる。その一作が描かれるまでは誰も行ったことがない、できるだけ遠くに。そんな一作を院展は泥まみれの切磋の中から生み出してきたはずだ、と。
さて、そんな一作を下田義寛の《早暁 シバザクラ》に見た。簡潔な構図、サイズもさほど大きくはない。だが、古今の富士の名画を引き寄せたイマジュリィは途方もなく厚く、北斎の《凱風快晴》以来の天晴れさで、漂泊の心を空高くいざなっていた。版画的手法を応用した作画は年々重厚感を増して、未だにこの人の編みだした日本画技法の斬新を打ち破る画家は出ていない。青年期の混沌の粒をこの画家は手の中でとことん磨き、いまや艶やかな玉としたのである。
田渕俊夫の《飛鳥川心象 春萠ゆ》は、逆に紙と墨だけの切り詰めたしごとだが、それによって捉えられた微かな風光の明滅は歴史的風景の陰影を感じさせる。外界とのありふれた関係のとり方など埒外にして、遠い時間の中で己と戯れる融通無碍なあり様こそ院展日本画の逞しい自由さだ、ともいいたげな作品だ。
加来万周の《塊》や澁澤星《Morning Relay》も、きっと自分の目と手以上に精神で判断しなければならないという切実さから、ドラスティックなモチーフが放つ韻律は決して派手ではないが、実在の深度を増している。梅原幸雄の《雪夜(鬼の棲む画室)》は、手がかりがつかめない茫漠とした空間だが、そういう場所でのみ画中の人物やモノたちは妖気や謎を立ちのぼらせる。小さい自己を追いつめるのではなく、自分を笑い飛ばして他と静かに生きている精神を見出す。こうしたしごとこそ、今を生きる気持ちに深く切り込んでくるはずだ。
いま私たちが直面している困難な時代、表現のハードルはさらに高くなっているだろう。泥まみれの塊をツヤツヤの玉に磨いた院展の一作。私は俟っていますよ。
(泉屋博古館分館長)
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再興第101回院展は、東京都美術館(9月1日~16日)を皮切りに、今後、以下の会場を巡回する。
再興第101回院展
島根(東)展 2016年10月22日(土)~11月13日(日) 足立美術館
名古屋展 2016年11月26日(土)~12月4日(日) 松坂屋美術館
富山展 2016年12月8日(木)~25日(日) 富山県民会館展示室
岡山展 2017年1月2日(月)~15日(日) 岡山市・天満屋
広島展 2017年1月19日(木)~31日(火) 広島市・福屋
横浜展 2017年2月4日(土)~21日(火) そごう美術館
茨城五浦展 2017年2月25日(土)~3月30日(木) 茨城県天心記念五浦美術館
北九州展 2017年4月7日(金)~5月7日(日) 北九州市立美術館分館
島根(西)展 2017年5月12日(金)~6月1日(木) 今井美術館
浜松展 2017年6月6日(火)~18日(日) クリエート浜松
【関連リンク】日本美術院