一点の作品が生まれるとき、作家のなかにある「体験」や「記憶」は、どのようにして作品として結晶するのだろうか。
浜田知明、秀島由己男の銅版画を間近で見るとき、作品から放たれる冴えた感覚は、現在の私たちの日常に訴えかけてくる。時代を越え、ある種のリアリティーが提示されているのだ。
浜田であれば、それは《初年兵哀歌》が代表的なシリーズである。あまりにも痛ましい人間の極限の状態や状況が鮮烈にあらわされた。また、高度経済成長期の人間の飽和感、あるいは枯渇のさまを鋭くえぐりユーモラスともいえる表現によって露わにした。
一方、浜田を師とあおいだ秀島の作品では、同郷の詩人である石牟礼道子や、高橋睦郎らとの詩画集に際だつように、幼少期の孤独感や二十代で相次ぐ父母の死の体験を思わせる秀島特有の生と死の意識が表出している。作品の題名に多用されてきた、まさに「叫び」が漆黒の画面の深いところから響いてくる。
今、あらためて大川美術館の展示室で両氏の作品を見るとき、そこには、人と人、人間と都市、人間と世界の関係が私たちの現実と重なり迫ってくるのではないだろうか。小さな版画作品という視覚的な領域をこえて、両氏の哲学がひらかれてくるのを痛感する。その人間心理の暗部と明部が、同室に隣り合う時、作品を見るものは精神の奥深いところで共鳴するにちがいない。
このたびの展覧会にあたり両氏を熊本に訪ねた。その地で実感したのは両作家とも一点の作品が生まれるのに「時間」を要すということであった。このことは、ふたりの作家に限ったことではない。しかし体験や記憶のうえにある表現には、それぞれの時代のなかで多くのものごととの距離のおき方、個々の作品との時間のとり方があり、両氏は、それがつつましくも冷静で強靭であるようにおもわれた。
老境の両作家は今もなお、新たな制作にむけて模索の時にある。多くの人々が、さまざまな危機感を抱きつづけるこの時代のなかにあって、両氏の今後の展開が期待されてやまない。
(大川美術館主任学芸員)
【展覧会】浜田知明・秀島由己男版画展
【会期】2017年9月30日(土)~12月17日(日)
【会場】大川美術館(群馬県桐生市小曾根町3-69)
【TEL】0277-46-3300
【休館】月曜
【開館】10:00~17:00 ※入館は16:30まで
【料金】一般1000円 高大生650円 小中生300円
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