作家・仏文学者 堀江敏幸さんと行く大川美術館 ~ 一人の男の情熱が生んだ美の殿堂 ~

2018年02月26日 10:00 カテゴリ:最新のニュース

 

 

群馬県桐生市にある大川美術館は、同市出身の実業家・大川栄二が蒐集した作品を所蔵、公開する私設美術館で1989年に開館しました。日本の近代洋画史を代表する画家・松本竣介、野田英夫を中心に、およそ7,300点という日本有数のコレクションを誇り、開館以来多くの人々を魅了し続けています。

 

仏文学者で作家の堀江敏幸さんも大川コレクションに魅了された一人。堀江さんは、早稲田大学第一文学部、東京大学大学院でフランス文学を研究し、パリ第3大学留学中の『郊外へ』で作家デビュー。これまで三島由紀夫賞、芥川龍之介賞、川端康成文学賞、谷崎潤一郎賞、読売文学賞、野間文芸賞など数々の文学賞を受賞し、またギベールやレダ、ユルスナールなどの翻訳でも知られています。

 

澄み切った空が気持ちの良い2月のはじめ、私たちは堀江さんと大川美術館を訪ねました。“情熱のコレクター”大川栄二がつくったこの美術館が、私たちを強く惹きつけてやまないワケとは――。堀江さんと一緒に探っていきます。

 

出迎えてくれたのは、館長の田中淳さん。東京国立近代美術館学芸員を経て、東京文化財研究所で岸田劉生ら日本の近代美術を専門に研究されてきました。2017年8月に寺田勝彦館長の後をうけて3代目の館長に就任。まずはエントランスのある4階から、展示室を案内してもらいました。

 

もともと社員寮だった建物を改装してつくられたという美術館は、各階に複数の小さな展示室が設けられています。この階では、長谷川利行や萬鐵五郎、三岸好太郎、清水登之ら近代洋画を中心に紹介。建物を4階から下っていきながら作品を鑑賞するというユニークなつくりも、この美術館の魅力のひとつ。設計は松本竣介の次男で建築家の松本莞さんが手掛けました。

 

大川栄二(1924~2008):桐生高等工業学校を卒業後、三井物産を経てダイエーに入社。同社の副社長や関連会社の役員を歴任し、ダイエー急成長の立役者となった。一方でサラリーマン時代から美術作品のコレクションを始め、美術館開館後は初代館長として独自の眼差しによる企画を開催。美術に対する情熱は並々ならぬもので、絵の話になると1時間でも2時間でも熱く語ったと言われている。

 

 

これまで何度も同館を訪れているという堀江さん。「静かな空間でじっくりと作品と向き合えるのがここの魅力。お客さんも多すぎず、気に入った作品を独り占めできる。本当に贅沢だなと思います」。

 

同館では3カ月ごと、年4回のペースで企画展やテーマ展を開催。常設展示も同じタイミングで展示替えを行っています。約7,300点というコレクションは私設美術館の中ではトップクラスの所蔵数。展示されたことのない作品もまだまだあるそう。

 

それぞれの部屋のコンパクトさや低い天井も堀江さんの一押しポイントだとか。「天井が高いとどんな絵があったのか、どんな大きさだったのかあとで思い出せなくなってしまうのですが、ここは絵と鑑賞者の距離が近くて気に入っています」。まさに「自宅でくつろぐように作品を楽しめる美術館」という大川さんの考えを形にした同館ならでは。

 

3階に続く螺旋階段を降りた先は、同館のメイン展示室である「竣介・英夫の展示室」。松本竣介、野田英夫の作品を中心に大小の優品が並ぶ空間です。広いスペースの中央に革張りの大きなソファが置かれ、深く腰を下ろして物思いに耽りながら時間を過ごすのに絶好の場所。

 

ここに常設展示されているのが、松本竣介の大作《街》。1938年の二科展に出品した作品です。澄んだ青色の画面に、雑踏のなか一人こちらを見つめる女性とそれを囲むように街のイメージが浮かびます。静けさの中にも時代のピリピリとした緊張感をはらむ同作品は、野田の影響を強く受けたものであり、まさに同館を代表する名品として知られています。

 

今回はこの《街》をバックに堀江さん、田中館長に大川美術館や松本竣介の魅力を語ってもらいました。

 

 

 

 

― 堀江さんはこれまでも美術に関するエッセイを数多く執筆されていますし、2015年にはそれらをまとめた『仰向けの言葉』(平凡社)を出版されています。学生時代から美術館などに足を運ばれていたようですが、特に好きな美術館というのはありますか?

 

堀江 東京国立近代美術館は近いので足繁く通っていますね。特に常設展は何度行っても飽きませんし、時間が空いたときにふらっと行くのにいいところです。逆にとても多くの人が入るような大型展は疲れてしまって…。それと大川美術館のような私設美術館の、一人の眼で選んだコレクションは親しみが持てて好きですね。ぼくはここの建物自体もとても気に入っています。

 

― 階段状に展示室が連なる建物も大川美術館の特徴ですね。

 

堀江 小説家のバルザックがちょうどこのような段差のある敷地に家を建てていまして、1階と2階にそれぞれ玄関があるんです。原稿の催促や借金取りがきて呼び鈴を押すと、彼は逆の玄関から逃げ出していたそうですよ。ここに来るとその話を思い出します。何より良いのは、いわゆる“順路”という形の強制が無いことです。順路がきっちり示されている美術館だと、その通りに歩かないと何か悪いことをしているような気持ちになってしまうし、もう一度観たいなと思った作品があっても戻るのが悪いような気がしてしまいます。その点、ここは好きに移動して良い。いたる所に椅子やソファがあるので疲れたらそこで休めばいいですしね。

 

田中 この美術館にはいわゆる企画展示室はありません。基本的にすべてコレクションから展示を組み立てていますが、常時200を超える作品を飾っているので半日はいられる場所だと思います。それと、堀江さんも仰いましたが作品との距離がものすごく近い。このぐらい間近に作品を観ると、1点1点の絵が発している“熱”のようなものを感じられるんです。私は、それと同時に大川栄二という人間の情熱を感じます。館長に就任して改めてコレクションに触れたのですが、よく当時こんな作品を買ったなと。例えば草間彌生さん。今でこそ世界中で知られる作家ですが、大川さんはずいぶん早い段階で購入されている。

 

堀江 ここの作品は、お金があれば買えるというものではないですよね。一人のコレクターが自らの理念をもって集めた作品が展示されている。展示を観ていると、大川さんの情念のようなものを強く感じます。都心の美術館ではほとんど味わえない体験じゃないでしょうか。

 

― 近年は男性のリピーター客が増えていると聞きました。

 

田中 そうなんです。たいていの美術館は女性客の方が多いのですが、うちはついに男性客と女性客の割合が半々となりました。女性はグループでいらっしゃる方が多く、男性は一人でいらっしゃる方、加えて何度も来館されている方が多い。

 

堀江 ぼくも来るときは一人が多いですね。年齢を重ねるごとに、こうしたコレクションの良さが分かるようになってきました。

 

― 堀江さんもアートコレクションに興味がおありですか?

 

堀江 小さな版画やデッサンなどは買ったことがありますし、欲しいと思った絵も沢山あったのですが、飾るスペースが無いんです。空いた壁があっても本が何冊入るだろうと考えてしまって……。文学をやっている人で絵が好きな人はたくさんいらっしゃいますが、皆さん持っていてもやはり小ぶりなものですね。我々にとっては壁は絵のためでなく本のためにあるんですよ。昔だったら絵をコレクションするために新たに家を建てる方もいらしたそうですが。

 

田中 大川さんはまさにそうだったようです。コレクションを飾るための部屋を自宅に持っていた。

 

堀江 普段は箱にしまっておいて、時々出しては眺めて楽しむという方もいらっしゃいますが、ぼくも買うならば普段から観ていたいと思ってしまうタチなので。本も常に背表紙が見えるように本棚に入れています。見ていないようで見ているというか。美術館でも作品を貸し出していたりすると、壁面がひとつぽっかりと空きますよね。そうすると空間全部がだめになって見えることが結構あるんです。そこにあった作品をしっかり覚えているわけじゃないけれど、無いことですごく寂しく思えてしまうんですよ。

 

―大川栄二の眼、松本竣介との出会い

 


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