2月26日~3月3日まで京橋のアートスペース羅針盤で、多摩美術大学日本画専攻領域の卒業生17名によるグループ展「むすんで、ひらいて、」が開かれた。会期中の2月28日には、「絵を描いて生きていくには?」をテーマにトークイベントを開催。同大学の卒業生である日本画家・町田久美と、後半にはアートスペース羅針盤オーナーの岡崎こゆに対して、出品作家が様々な質問を投げかけた。美大を卒業し新たな一歩を踏み出す学生たちに、町田と岡崎が贈ったメッセージとは。イベントの様子をレポートする。
異国で蒔いた〝種〟が、新たな場所に連れていってくれる
――まずは町田さんに、制作にまつわるお話を伺っていきたいと思います。町田さんの制作ペースを教えてください。また、制作ビジョンをしっかりと持ってから描かれるのでしょうか。
町田 毎日描いているわけではなく、スケッチなどを細々とおこなっています。私の作品ははっきりした線なので、よく「あらかじめ全て決めているんですか」と聞かれるのですが、実際は描くうちに変わっていきます。線や要素をつけ足すことも多いです。
――好きな画材は何ですか。また、影響を受けてきた作家や作品を教えてください。
町田 岩絵の具や和紙、それとは逆にテンペラのような質感も好きです。作品は広重の木曾路之山川が好きで、独特の「空間の抜き方」に惹かれます。とはいっても「一番好きな作品」というものは無く、どの作家にもそれぞれ好きな作品があります。作家の信念や愛が、ざらっと触ってくるような作品が好きです。
――町田さんは2008年に文化庁芸術家在外研修員としてデンマークで1年間滞在制作をされていますが、なぜ留学することを決めたのでしょうか。留学先の国を選んだ理由も教えてください。
町田 20代の頃はバックパッカーをしていて、アジアを中心を訪れていました。30代になるとヨーロッパに目が向き、どこかに長く滞在したいという想いも強くなっていきました。デンマークを選んだのは、2002年にフランクフルト大学主催の展示でお世話になった、日本総領事館の方がきっかけです。2006年に東京都現代美術館で開かれた「MOTアニュアル No Borderー『日本画』から『日本画』へ」で偶然再会したのですが、その頃は(日本の)文化庁長官に就任されていて、「もし国を迷っているならデンマークに来てみてはどうか」と勧めてくださいました。「蒔いた種が思いもよらないところで芽を出した」ような感覚でした。
せっかく異国へ行くのであれば、いろんな場所を訪れたり人と会ったりして、どんどん種を蒔いていってもらいたいですね。その種や、制作した作品が、自分をまた新しいところに連れていってくれる。少し旅行で訪れるだけでも面白い縁ができるので、今はまだ海外にあまり興味がない人も、足を伸ばしてみるのも良いかと思います。
画家として残っている人は、みんな「描き続けている人」
――学生時代、将来についてはどう考えていらっしゃいましたか。
町田 大学生の頃はバブルが終わった直後で、卒業後フリーターになることも結構許されている時代でした。当時は「研究生制度」があったので、卒業後も大学でアトリエだけ使用していたのですが、公募団体展に出すつもりのない学生にとっては色々とカルチャーショックが大きく、半年程で辞めてしまいました。その後はアルバイトをしながら絵を続け、1年に1度貸し画廊で個展を開きました。しかし当時は小山登美夫ギャラリーも出来る前で、現代アートの受け皿がまだ少ない時代。インターネットの登場を機に海外へ目を向け、交流サイトなどを通じて先程のフランクフルトの個展につながりました。
20代の頃は若かったので、財政的には厳しかったのですが「何とかなる」と楽しく過ごせました。30代に近づくと、描く仕事で少し食べられるようになってきたのですが、「自分は今、本当にやりたいことがやれているのか」と疑問が生まれてきました。個展を開いても友人しか来ず、美術関係者には来てもらえない。30歳前後に当時の仕事を全て辞め、様々な一般公募のコンクールに出品し始めました。このような類の展覧会は、美術愛好者や関係者が足を運んでくれる場所なので、卒業後の画家にとって一つの「救い」だと思っています。また「ギャラリーへの所属」は、私の場合は非常に有難いシステム。もちろんギャラリーごとに作家との関係性が違いますし、村上隆さんのようにセルフプロデュースの上手い方もいらっしゃるので、人それぞれですが。略歴の作成や、様々な打ち合わせも代理で進めてくださるので、私の場合は制作に専念できて助かっています。
今も「自分は画家だ」ということに確信はありません。昔お話した評論家の方が、「絵描きにはいつの間にかなっちゃうものだよ」と仰っていたのがずっと心に残っています。今画家として残っている人は、みんな「描き続けている人」。確かに絵で食べていく事は大変ですが、可能性は決して0%ではありません。自分を鼓舞して、恥をかきながら、辞めずにずっと続けていってほしいです。
自分の正義に疑問を持ちながら描いている
――ここからは、アートスペース羅針盤オーナーの岡崎こゆさんにもトークに参加していただきます。お2人にとって、「作品」とはどのような存在なのでしょうか。町田さんは描いた作品への想いを、岡崎さんは画廊で扱う作品への想いを教えてください。
町田 描いている間は「登るべき山」のような存在ですが、描いてしまった後は、実はそこまで愛着はありません。その絵に力がなければ消えてしまうし、力があればその絵の人生は続いていき、残っていくと思います。
岡崎 私にとって絵は、画廊を経営していく上での商品でもあります。大学卒業後に教員として働いていたのですが、ある時1人の絵描きと出会い、その方の絵を買ったことが画廊をはじめるきっかけとなりました。絵は、自分の人生の指針を示してくれる「羅針盤」のような存在。そして最近は「ギフト」のような存在になりつつあります。素敵な作品に出会うと、運命の一枚を神様がプレゼントしてくれたかのような気持ちになるんです。
――岡﨑さんは、活動を長く続けている作家に共通することは何だと思われますか。また町田さんは、絵を描いて生きていくこととはどのようなことだと考えますか。
岡崎 難しいですが、あえて挙げるとしたら「しつこく食らいつく人」、「展覧会の頻度や制作のペースが過剰な人」、そして「感受性が豊かで世話好きな優しい人」。画廊を立ち上げた頃から交流のある千々岩修さんや、門倉直子さんを見ていて思いました。
町田 私は子どもの頃から周りとコミュニケーションを上手くとれなくて、学校の同級生で連絡をとっている人は実は誰1人いないんです。ですが今は、絵を描くことによってコミュニケーションをとれている。自分が持っているコミュニケーションツールの中で、1番上手くできることが絵だと思っています。
私は社会に自分の正義を問いただすタイプの作家ではなく、どちらかというといつも自分の正義に疑問を持っている人間です。絵はYes, Noがはっきりしない問題についても、何かを表現できることが魅力だと感じています。もちろん描いていると体力的にも精神的にも苦しくキツいのですが、なぜだかやめられない。なぜなんでしょうね。
トーク終了後「モチベーションを保ち続ける方法」について追加質問があると、町田は「古典作品や学生の最前線の表現を見ると、新鮮な驚きがあります。また自然は圧倒的にかなわない存在なので、時折見に行きたくなります」と回答。また、「町田さんはご自身の幼少期を〝暗い野生児〟と例えていますが、ご自身の作品に幼少期の影響は感じますか」という質問も。「小学校の6年間は孤立していたので猛烈な孤独感がありましたが、描くという手段を知ったことで、ネガティブな感情を〝メッセージ〟に転換できるようになりました。美術作家の在り方は様々で、自分が思う一番美しいモチーフを描く人もいれば、内的な治療法として描く人もいますが、時に治療法を超えたところで強度を持った作品が成立する場合がある。美術は本当に懐が深いです」。丁寧に言葉を紡ぐように、真摯に回答する町田の姿が印象的であった。
〝自分だけの駅〟に辿り着くために
イベント終了後、町田に学生へ向けたメッセージを聞くと「とにかく辞めずに絵を続けていってもらいたい。良い時も悪い時もありますし、特に女性は人生の節目節目で選択を迫られますが、続けていればいつの間にか道になっています。今はシェアハウスなどの生き方もありますが、降りるべき〝自分だけの駅〟へいつか辿り着かないといけない。孤独になることを過度に怖がらずに制作していってほしいですね。」と語った。
また、出品作家の学生たちは「制作の辛さが重なる部分もあり、第一線で活躍されている町田さんが少し身近な存在に感じられました」と語った。「卒業後の将来に不安もありますが、就職する人も大学院に進む人も、それぞれの方法で絵を続けていきたいと考えています。今回の展示を集大成ではなく通過点と捉えて、これからも一歩一歩積み重ねていきたいです」。町田の話からも学ぶように、絵を続けるための道はひとりひとり異なる。学部を卒業し独り立ちする学生に、自分と、表現と、そして孤独と向き合ってほしいというそのメッセージは強く響いただろう。
(取材:岩本知弓)
【展覧会】「むすんで、ひらいて、」展
【会期】2018年2月26日(月)~3月3日(土)
【会場】アートスペース羅針盤(東京都中央区京橋3-5-3京栄ビル2F)
【出品作家】相原南希/安藤しづか/市川知美/井出夏美/出田瑞季/岩﨑歩美/大湊風花/奥田夏鈴/小瀬真由子/桑村象平/小林明日香/清水友麻/鈴木琢未/中嶋弘樹/宮本京香/森田緩乃/森田舞