笠間日動美術館開館40周年インタビュー 長谷川徳七館長・智恵子副館長に聞く 〈1〉

2012年09月25日 13:23 カテゴリ:その他ページ

 

公益財団法人 日動美術財団

 

  笠間日動美術館 開館40周年インタビュー  長谷川徳七館長・智恵子副館長に聞く

 

長谷川智恵子副館長

長谷川徳七館長

 

 

日動画廊創業者の長谷川仁・林子夫妻により創設された笠間日動美術館が11月に開館40周年を迎える。この機会に日動画廊の二代目社長で同館館長の長谷川徳七氏と副社長で同副館長の長谷川智恵子氏に、開館からの歩みやコレクションの形成、震災後の美術を取り巻く現状などをお聞きした。

 

 

 

 

 

昭和、平成という時代に日動画廊があって、美術館を通して地域文化に寄与

 

―40年を振り返っての思いは。

 

館長 日動画廊創業40周年の時に作家ご自身のパレットに絵を描いてもらい150点ほどが集りました。このコレクションを私蔵する訳にも行かず、さらには展示する場所がなければならないことから父の長谷川仁が、郷里に錦の御旗を上げる、「笠間に小さいながらも美術館を」という志が大前提にあります。ですから、当時のコレクションはパレットのほかに、コレクションらしいコレクションはなかったんです。

 

その後父が倒れ、美術館の運営は荷が重いと思った時もありましたが、創業50周年にあたり大きなイベントをやろうとピカソの大展覧会を企画しました。読売新聞社との共催事業としてエルミタージュ美術館ともコンタクトが出来たり、思いがけず大量のピカソの作品をロシアから引出すことも出来ました。1977年の東京都美術館での展示に続き、作品を限定するかたちで行われた当館のピカソ展には、10日間で約3万人もの人々が訪れるほど当時は大変な話題となりました。良い展覧会を開催すれば人が集ると、そこから発奮して藤田嗣治展やシャガール展など多くの展覧会を行いその度に人が集ってきました。

 

―美術館の成長とともに施設も充実していった訳ですね。

 

館長 長谷川家は代々藩医でありましたので、同地には薬草園がそのまま残っていました。1981年にはそこを野外彫刻庭園に、また現在のパレット館を増設する85年頃には年間10万人の入場者を数えました。さらに企画展示館を竣工した89年には、印象派からエコール・ド・パリなどのヨーロッパ近代絵画、日本近・現代洋画など相当数のコレクションができていました。常設的に作品を観てもらえるよう97年には現在のフランス館を建替えし、創業者を顕彰する長谷川仁・林子記念室なども併設しました。

 

―コレクションの形成はその後どのように変化していったのですか。

 

笠間日動美術館企画展示館

副館長 パレットも今では360点ほどの作品が集ってきましたし、そのほかには北大路魯山人の旧居を北鎌倉から移築した「春風萬里荘」などのご縁にもありますように、アメリカのサンディエゴから里帰りした「カワシマ・コレクション」を含む魯山人の作品も多く所蔵しています。また美術館という母体があってこそ、美術品は大切に保管されるとわかり、作品を託される方もいらっしゃいます。近代洋画においてもヤンマーディーゼルの「山岡コレクション」はコレクションが散逸するのでなく、永代にわたり大切にしてくれることを望まれ収蔵されたものです。最近では金山平三先生を顕彰し全国の美術ファンに広めてほしいという方から「金子コレクション」として一括して託されるなど、様々なかたちで収蔵品が増えてきました。そしてまたコレクションの充実とともに今では県立や私立の美術館からも貸出しの依頼があり、私どものコレクションはあちらこちらに旅をしています。

 

館長 常に当館だけで所蔵しているというのではなく、日本国中の美術館に貸出していろいろな方の眼に触れています。学芸員の方々には、様々な切り口でコレクションを活用して頂いています。

 

副館長 そういう意味で父が残してくれた小さな美術館から始まったこの40年のなかで、色々な美術館のお手伝いが出来、新聞社との共催では「マチス」「ゴーギャン」「レンブラント」などの展覧会に協力したり、その後の交換展や人的交流などの幅広い活動も、美術館があったからこそ出来たのだと思います。

 

―画商と美術館という仕事の共通性や違いをどのように感じていますか。

 

館長 画商をやっていますと自分の目の前を名品がたくさん通って行く訳です。そして何が名品かという一つの軸を我々はとらえているつもりです。そのなかで『私が惚れて買った絵』という名品ばかりを集めた本も書いた訳ですが、では我々がそのような名品をコレクション出来るかといえば、画商の悲しさ、それはできない、というところにたどりつきます。ですが、自分の力で出来る範囲のことはやってきたつもりです。それがどう観えるかはよそ様の眼ですけれど、自分ではそう外れていない、それなりのコレクションになったと自負しています。

 

副館長 大きなパブリックな仕事にかかわれたのは、美術館があってこそではありますが、反面、画商という立場からしますと、これは当館に入れたいという作品があったとしても、お客様が欲しいと言われれば販売しなければなりませんからね。ですから、作品をお納めしたポーラ美術館やひろしま美術館に行きますと嬉しいですし、誇りですね。こういうものを扱わせてもらったんだ、という画商冥利に尽きますね。

 

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