日本画

     
   
日本画の友人4人でよく旅をした。小さな旅だが天候にも恵まれて、思い出は多く懐かしい。山の宿でのハプニングで騒ぎと笑いあり、西伊豆の旅では夕映えが心に残る上高地で静かな焼岳をスケッチしたが、夜ホテルの庭で、夜空を覆う焼岳の噴煙に驚く。が翌朝果てしない青空と澄んだ空気が、良い旅を、と私達に囁いてくれた。
都会の喧騒を離れ、静かな城下町で、夫は菜園を、私は花々を育て、穏やかな暮らしを送っていた頃、マッキンリー登頂を果たした弟が山荘に家族と共に住むようになった。私達が訪れると馳走を囲んで大層賑やかな雰囲気になり、温泉に浸り、雄大な蔵王山麓のドライブを愉しんだ。ある日、蜿蜒(えんえん)と続く雑木林を抜け出た瞬間、視界が広がり、この風景に出遭った。絵筆を執れば不安な時勢の音は消え、絵の中から風の微(そよ)ぎ、鳥の囀りが聴こえてくる。
日本画の授業で京都へ舞妓さんを描きに行く事になり、先ずは体の線から、と裸婦の線描画をだいぶ習った。その時の素描が数枚残っているが、裸婦の作品は1点も無いので、描いてみようと思い筆を執り、描き始める。朧月夜のバックに紫陽花を浮かばせてみたが……
よく遊ぶ子供だが机に向うと動かない、と母が語る幼い頃の私である。<br />
花嫁姿が好きでよく描いた。成長する程に若い清楚な女性を描く様になり、木箱に大切に仕舞い長い年月私の願いで保管されたが、家を増築する時芥と一緒に焼却され、その心のなさに失望した。<br />
年を経て描いたこの一枚の絵が当時を偲ばす縁となっている。

   

 
 

石田 彩

ISHIDA AYA

 
1931年宮城県生まれ。
遠藤喜丸、三上正寿に師事。現代水墨派協会展で受賞を重ね、同会参与など歴任。
後、墨遊会を主宰するも現在は無所属として、個展やグループ展を中心に作品を発表する。

 
     

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